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Newsweek 2018.3.20

さぼ郎
Newsweekをさかのぼって読んでいます。コロンビア大学での特別講義として「戦争の記憶」という講座を連載しているからです。

戦争

実は4月3日号が最終回で、それをさかのぼって読んでいるというわけです。Newsweekは、価格もページ数も手頃で、読むなら年間購読も検討したのですが、かつてナショナルジオグラフィックを購読して、雑誌が溜まってしまうことと、読んでいるうちに飽きてしまうので、年間購読はやめて図書館から借りることにしました。

台東区では、Newsweekはあまり人気がないので楽に借りることができます。

3月20日号では「戦争の記憶のつくられ方」という特集です。講義はキャロル・グラックという日本現代史の歴史学教授です。

キャロル・グラック
Newsweekの記事にリンク ↑

戦争の記憶」は白か黒かはっきりしているのに、その記憶に変化が起きる。グラックは、それを「記憶の作用」と呼んでいる。

例えばニューヨークにオープンした「9.11メモリアル・ミュージアム」では、悲劇や試練や希望に向かうと行ったストーリーが展示されているが、このテロがどういう背景から起こったものなのかということとテロリストは抜け落ちている。

同様に、九段にある「昭和館 | National Showa Memorial Museum」では、戦争の歴史的要素が抜け落ちているのだそうです。行ったことはないし、きっといくこともないとは思いますが、あのあたりは距離的に言って、偏向は禁じ得ない感じがしていて、好んで近寄ることもありません。

日本での終戦記念日は8月15日であるけれど、アメリカやイギリスにとっての対日戦勝記念日は、ミズーリで日本政府が降伏文書に署名した9月2日

2014年になって、中国、ソ連では9月3日で、習近平が「抗日戦争勝利記念日」と定め大規模な式典を行うようになっています。日本以外の国にとっての終戦は「9月2日」か「9月3日」であるようで、日本が8月15日に一方的に戦争をやめたけれど、降伏文書の調印をもって正式な終戦になるようです。

さらに、習近平は、同じく戦争が終わって70年たった2014年に、12月3日を「南京大虐殺を追悼する記念日」として反日的な記念日を作っている。

パールハーバー
wiki「パールハーバー」にリンク ↑

パールハーバーでは、ルーズベルトが1941年12月7日を「非道が行われた日(a date which will live in infamy.)」と公式声明で語っている。
infamy:恥ずべき行い

このように政策的(政治的圧力として)に記憶の形成が変えられていく過程もある。

国内政治、国際政治によって記憶が変化することは大いにある。日本では1982年に教科書検定で中国への「侵略」を「進出」と書き換えさせたこと。

これは、安倍晋三さんが、まだ溌剌とした指導者だった頃に、「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」(2013年4月23日、参院予算委)という有名な日本会議的な発言をしています。

1985年に、中国では「南京大虐殺紀念館」がオープンしている。中国では共産党の国内の結束力定価や国内の抗議が拡大することへの心配があった。

1989年には天安門事件が起き、愛国教育を強化する一環で「抗日戦争」を大きく取り上げていくことを政策的に選択している。

また、「記憶の活動家」と呼ばれる人たちの訴えにより、記憶の形成が作られることもある。日本では遺族会、中国では南京大虐殺の遺族、ヨーロッパではホロコーストの遺族など。あるいは、日本軍の捕虜となって虐待を受けた人々の家族など。

韓国における「慰安婦問題」は、韓国国内の事情(不景気、就職難など)や「記憶の活動家」としての活動が1991年に慰安婦被害女性出現以来、活発な動きになっているのは、韓国政府の愛国教育と「記憶の活動家」の運動が同じベクトルを持っているゆえに、日韓は到達点の見えない運動になっている。

ドイツと日本の戦争への向き合い方に違いがあるのは、日本は敗戦後、アメリカに占領され、国内の共産化を防ぐと同時に挑戦で起きた戦争への対処に追われたこと。

政治としては、ずっと自民党1党支配であったため、戦争への記憶を凍結し続けていたが、ドイツでは敵国フランスとの協調が不可欠であったことや、NATO、EC(後のEU)に加盟する前提として侵略戦争に対する外からの政治的圧力を受けていた。

日本では先の大戦を「太平洋戦争」とする傾向が少なくないが、実は1937年の盧溝橋から中国での侵略戦争が始まっていた。

盧溝橋
wiki「盧溝橋」にリンク ↑

その記憶を忘却したまま日米同盟だけでは、中国が台頭してきたアジア諸外国との関係を維持していくことが難しくなってきた。

つまり国際環境の変化により、「戦争の記憶」にも変化があらわれてきているというわけ。

という流れから次号では「慰安婦」問題を取り上げていたが、これには特筆するほどの発見は特になかった。

戦争」といっても、90歳の人で戦争終結時18歳だったわけで、男なら戦地に行った人も少なくなかった。

現実に飲む物も食べる物もなくジャングルを徘徊した挙げ句、捕虜になったとか、玉砕をかけた闘いで負傷して捕虜になるなど、硝煙と衝撃と血や死者の匂いのなかで殺るか殺られるかのような死闘を経験した人々は少なくなっているにもかかわらず、未だに「戦争の記憶」という呪縛から逃れられていません。

しかも、自分が「体験した記憶」を持っているヒトなど、ほとんどいないにもかかわらず。

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