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あれこれ

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権力と人格

さぼ郎
power

権力」とは何か などといい出すと、結構、面倒な話になりそうです。英語では「power」というようです。しかし、調べてみると本来は「right」の翻訳語だという意見もありました。

明治10年、西周が「憲法草案」において、
ある所では「所有ノ権」と書き、同じ項、別の所には「行政権」と書いている。これに対して、やはり今日の私たちのように二つを区別していたのだ、という見方もあるかも知れない。(今日の私たちにしても多分にあやしい、と私は考えるのであるが、)「所有ノ権」と言ったときは権利の意味で、「行政権」と書いたときは権力という伝来の意味のつもりだ、という解釈である。しかし……こういう区別の意識は、なかったとみるべきであろう。
と書いているようです。「所有の権」は「権利」で、「行政権」が「権力」という伝来のつもりだけれど、一般にはこういう区別はなかったのだろうとしています。

そもそも漢字の「」には「支配力、服従させる力」という意味もあるようです。しかし、日本では平安時代の貴族も階級で「権中納言」などにつく「」は「」という意味で使われているので、ニュアンスがだいぶ違います。

で、「権利」は「right」であって、「利益を主張し享受できる力」のことで、「権力」は「power」であって、ウェーバーによれば「服従の蓋然性を前提にして成り立つ力」ということになります。

権利

ネットで調べてみると、「権利と権力」という対比よりも「権威と権力」という対比のほうが多いような感じもします。しかし、「権利」も「権力」も「権威」も、全部違う意味で使っていると思います。

では、東京大学出て、国家公務員試験を優等で受かって財務省に入って、同期を毛散らかして事務次官になるほどの人物が、セクハラ疑惑の渦中になるケースを考えてみます。

もちろん、当方の偏差値は中央値を挟んで事務次官氏の対極以下に位置しているので、事務次官になるほどの頭脳や人間力などは、見当もつかないことですが、逆を言えば、せっかく手に入れた官僚として最上位のポストを棒に振るかも知れない危険を犯してまで、セクハラをしてしまう背景をゲスなりに勘ぐってみたいと思います。

昔でいうと、五位を超えると殿上人といって、殿上の間に上がれて天皇にお目見えすることも許されたのだそうです。余談ですが、吉宗の頃に、東南アジアから象が来たときに、象を天皇に見せようと言う話になり、象に五位を与えたという話もありました。

貴族

で、三位を超えると「公卿」といって、参議、少納言、中納言、大納言、内大臣、右大臣、左大臣、太政大臣、摂政・関白という階級を上り詰めなくてはならなかったわけです。

といっても、殆どは「世襲」ですので、公卿以下の階級から大臣になったのは菅原道真ともうひとり(名前を忘れた)の二人だけだったのだそうです。

世襲で大きな権力を握った人々では世の中を動かすことはできず、結局は実務を担ったのは下級貴族だったのだそうです。今の世で言うなら、政治家では国家を動かすことはできず、実務を担っているのは官僚なわけで、そのトップが事務次官ということになります。

事務次官

現在の事務次官というと世襲でもないし大臣でもないから、世襲ではない「大納言」あたりかもしれません。その昔なら参議になるのだって、世襲でないのなら尋常ではないくらいの出世だったようです。

逆を言えば、階級的には大臣のほうが上かもしれませんが、金と地盤がありさえすれば、そんなのは世襲議員でもなれるポストなので、日本の大臣なんて能力や努力とは無関係でゲットできるポストなわけです。

だから、なおのこと能力と人間力で事務次官のポストになったのなら、その先に展開しているであろう楽園(酒池肉林を手にしてからセクハラでも不倫でもすればいいのにとゲスは思うのでした)を存分に楽しむことができるであろうから、自重して揚げ足を取られなくするのが大方の偏差値の高い人の処世のような気がします。

にもかかわらず、女性と見るやセクハラ発言を連発する背景にあるものは、
病的性格
権力により誰でも服従するべきと思う勘違い
リスクを犯すことで豪胆さを示そうとしている
その他
のいずれか、あるいは複数なのだと思います。

セクハラ

かく申す、ワタシもかつては俗に「国家権力」なるものを少し持っていた時代があったのですが、ワタシ的には性に合いませんでした。が、性に合う人もいて、それゆえに職階級制の組織が円滑に動く部分は確実にあると思います。

しかし、それは、経験上、国家権力を使いこなすのには訓練による以上に性格に起因(向き不向き)する部分が多いように思います。

権力は、その人に備わっている「」なのかといえば、戦前の天皇陛下や一部の貴族などを除けば、そのような人は少ないわけで、大方は会社や軍隊のような組織とかのポストが、その人の「」を大きくしているわけです。

昔に読んだ小説ですが、北条高時がある時、普段着で一人で幕府を出て町に行くのですが、通行人の男に頭を殴られるというお話がありました。幕府にいればこそ得宗の執権であるわけですが、町人からすれば身なりの良いタダの男でしか無いわけです。

権威とか権力とは、意外にそんなモノでしか無いように思います。

しかし、権力には「服従させる力」があるので、それはおそらく資産を持つよりも人間を変容させるのではないかとかねてより思っていました。その変容は、素が出ているのか、はたまた、素が醜く変化しているのかはわかりませんが、なんでもできるような気分にさせてしまう、魔力と言うか、麻薬と言うか、魔法というか、そのようなものの気がします。

上昇志向

そもそも、上昇志向が人並み以上にあるゆえに官僚になろうとしているわけで、その時点ですでに権力志向はかなりのものがあるのでしょう。その頭脳を活かそうとするだけなら民間企業で力を発揮する路だってあるはずです。

自分の人生の幸福は、備わっている明晰な頭脳を十全に生かして権力階段を上り詰めることだとしている時点で、その後の変容は性格に根ざしているものと思われます。

ある朝起きたら虫になっていたら、本人も気がつくのでしょうが、徐々に虫になっていき、虫の度合いを増すに連れて周りの人々がかしずくようになれば、自ら望んで虫になるのでしょう。

カブトムシ
wiki「変身(カフカ)」にリンク ↑
ドイツ語の原文はUngezieferとなっており、これは鳥や小動物なども含む
有害生物全般を意味する単語

立派な角や甲冑を身に着けていく変容を生きがいとする人たちにとって部下が自裁しようが、自分よりはるかに偏差値の低い(彼らからすれば、おそらく理解不能なレベル)政治家のためなら、矛盾のないように嘘をつきまくることで、ますます、甲冑や角に磨きがかかることを無常の喜びとしている人種には、ワタシのような常人以下には理解を超えた存在でしかありません。

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