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取り組み

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ついに新年

さぼ郎
なんだかんだ言っても春が過ぎれば秋が来て、秋が過ぎれば冬が来る。冬が来てもたもたしていれば新年が来てしまうという、当たり前のことが当たり前に進んでいます。

アイキャッチの写真は元旦の浅草寺。坊主丸儲け。濡れもしない手に粟ならぬお賽銭。不労所得の極み。しかも、非課税。

浅草寺は朝から大変な賑わい。その浅草寺の雑踏を抜けて東本願寺に行ってみたら、浄土真宗では正月の騒ぎをやらないのか、広い境内も人がまばら。

その本願寺の周りには浄土真宗のお寺がたくさんあります。それぞれのお寺には掲示板があって、坊主が抹香臭い訓話を掲示してあります。

今日は「春立つや 愚の上に又 愚にかへる」という一茶の俳句を見つけました。

愚の上に又 愚にかへる」という意味は、おそらく、愚かな日々を改めなければならないのに、また、愚かな日々をすごしてしまう というあたりでしょうか。新年にあたって、手厳しい警句です。恥の上塗り、愚かの上塗り。

自分に満足できないから 相手の満足に耐えられない」というのもありました。自分に当てはめてみると、少なくとも自分に満足はしていませんが、だからといって不満があるわけでもありません。

友だちが多いわけでもない。資産があるわけでもない。夢中になれる趣味があるわけでもない。運動、学問、芸術 何をとっても人に優れていることはない。容姿がいいわけではない。頭はハゲてきた。昨年から今年にかけては癌続き。

あったらいいとされるものの何一つあるわけではないから不満かと言われれば「自分としては、こんなもんだろう」と思うからさほど不満ではない。重要な視点は「自分としては」という自己内省。これがないと相対尺度の罠にハマってしまいます。

逆に運動ができたり、学問ができたり、芸術が優れていたり、資産があったりしていても、あまり幸せでなさそうな人もいる(直接聞いたわけではないから真実は不明)。

いまだに地球が動いているとは思っていない。だから、地球の自転も公転も認知できていない。まして、太陽系として天の川銀河を動き、その天の川銀河が宇宙で動いているなんて、稀有過ぎて把握できやしないし、できなくても何も困らない。

宇宙は光速で拡大を続けているのだそうだ。そのエネルギーはどうなっているのかはわからないけれど膨張する圧力は体感していない。領域が意味もなく広がれば、宇宙空間の密度はどんどん下がるはず。そうすれば、温度も下がるはずだけれど太陽が補ってくれている。

宇宙の辺縁部では光速で広がるのだそうだから時間は限りなくゼロになる。つまり、時が経たない。ということは、宇宙の果ての外は、宇宙が誕生する前になる。

つまり、空間として考えることには限界があるということ。光速で広がるということは、すなわち時が「無くなる」ということ。アインシュタインが言っている。

今朝、輝いていた太陽は、実は8分19秒前の太陽。最も遠い天体は134億光年の彼方だそうだ。今はどうなっているのかは不明だけれど、確認するためには134億年かかってそこに行き、そして帰ってくるのにも134億年かかるわけで、帰ってきたら太陽系はきっとなくなっている。

猿から進化してヒトになったとしても、たかだか数百万年のこと。日本にヒトが来たのだって3~4万年前。

こんなこと考えても無駄で、そんな無駄なことを正月からしているということは、愚にかえっているだけのこと。一茶の指摘の通り!。これが自分に不満ではない最大の理由かも。

最後に、「人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か」。坊主が言うだけに真実味がある。酒池肉林の限りを尽くした坊主ならではの、ありがたい言葉で年始め。

今年は、いい年になりますように!

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