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あれこれ

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近傍雑感

さぼ郎
Katie Melua」の「CALL OFF THE SEARCH」というCD+DVDが八戸から届きました。

八戸

売価が1円で送料が350円。都合、351円です。



1984年グルジア(旧ソ連)生まれ。子供時代をグルジアとロシアのモスクワで過ごす。 内戦による混乱に怯えた幼少期を経て、9歳の時に家族と共に北アイルランドの北部の都市ベルファストに住み、13歳でロンドンに引っ越す。16歳になり、ロンドン郊外のブリット・スクール(BRIT School for the Performing Arts)に進学。在学中にプロデューサーのマイク・バットに見出される。
Katie Melua

日本で今ひとつ人気ないおかげで「1円」で買えました。

ご案内

樋口一葉

樋口一葉と中原中也の朗読会の案内です。5月19日(土)。
16時の会に行く予定です。

やはり現代モノよりは、純文学がいいですね

夏目漱石:1867年2月9日(慶応3年1月5日)生まれ
樋口一葉:1872年5月2日(明治5年3月25日)生まれ
芥川龍之介:1892年(明治25年)3月1日生まれ

この3人の小説は、比較的最近読んでいます。

樋口一葉の小説が、一番難しいです。彼女が最初に書いた小説は明治25年です。それから明治29年まで、多くの名作を世に残しました。

夏目漱石の小説も、漢文の素養がないと、きっとそんなには面白く読めないような気がします。かれの最初の小説は明治38年ですので、樋口一葉が世を去ってから7年後でしたから、だから、一葉に比べると若干読みやすい気がします。

独坐幽篁裏:ただひとり奥深い竹やぶの中に坐り
弾琴復長嘯:琴をひいたり、詩を吟じたりしている
深林人不知:奥深い竹林は人に知られることもなく
明月来相照:明るく輝く月が私を照らしてくれている。

これは王維の漢詩だそうです。道元の求めた心境にも近い感じがする漢詩ですね。

漱石は、たった20文字で、別の天と地(別乾坤)を作り上げ、全てを忘却した後の深い眠りのような功徳を、この漢詩から得ているようです。

一葉より5歳ほど年長ではありますが、小説の創作においては、13年ほど遅れています。一葉が死んだ明治25年から漱石が最初の小説を発表する明治38年までの間の言葉の変化が、現代語に近い文体に現れていると思います。

芥川は、樋口一葉が死んだ頃に生まれています。彼が小説を世に出すのは大正3年からです。彼の小説には平安朝の情景が多く描かれていますが、それは今昔物語や宇治拾遺物語などの古典への深い傾倒を感じます。

自分なりの結論を云うと、一葉の文体は古典に寄りすぎていて、あの時代の言葉遣いに馴染むまで読み込まなければ、ストーリーを追うだけに終始してしまってもったいない気がします。

一葉の文体のリズムの基本は五七調であるわけで、やはりベースには漢文や古典の素養が不可欠だと思います。

芥川は、平安朝への耽溺があるようです。言葉は流れるように巧みで、豊富だし、古典文学への造詣も深いですが、「たけくらべ」のような子供から大人に変わっていく、ほんの一瞬の移ろいを描き出す文学のチカラは一葉に及んでいないと思いますし、「にごりえ」のように、破滅していく人生、破滅を受け入れる人生が描けているかというと、やはり一葉には及んでいないと思います。

漱石の「草枕」に描かれる、漢文の凝縮した詩情を、とてもうまく現代語に展開しているなと、今更ながら感心しています。「草枕」を若いうちに読まなくてよかったと思っています。

漱石の教養は漢籍だけではなくも、もよくやるようで(もちろん英文学も)すし、にもかなり精通しているようです。で、この3人に共通しているのは、なんといっても、古典漢文和歌俳句などの知識であることは間違いのないとことだと思います。

なぜ、「芥川賞」という賞があるのかはわかりませんが、逆にいえば「夏目賞」というのがないのも不思議な気がします。

実は、調べてみたら「夏目漱石賞」というのが1947年と1950年の2回あったようです。ついでに調べてみたら「一葉賞」というのも1944年にあったようです。

現在の、芥川賞というのと、芥川龍之介の文学との関連などは全く不明ですが、賞の創設に関わった菊池寛によれば、
むろん芥川賞・直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。そのことは最初から明言してある
とのことで、批判もいろいろあるようです。

芸術としての文学をいうなら、芥川の方は、美文と言うか、文への多彩な装飾において、確かに芸術の域に達しているとは思うものの、やはり夏目漱石のほうが、人生観とか価値観に、深く突き刺さるものがあるような気がします。

とはいえ、文学は、創作する方も甚だ主観によるわけで、当然、読む方も主観によって鑑賞するわけです。だから、「」というセレモニーに馴染もうはずもないわけですが、それを敢えて行う背景は、単に商業主義でしかないことは自明です。

例えば、ベートーヴェンとチャイコフスキーとで、どちらが優れているかを競ったところで、意味を成さないことを、敢えて行っているようなもので、賞をやる方も、もらう方も、同じ穴の住人というところのような気がします。

ビジネス

少なくとも選出する審査員の作家たちで、芥川を凌駕しているくらいの高みにいることを自負できるヒトは、どれほどいるのでしょうか。

運動会においてすら、入賞した経験がないワタシには、芥川賞が欲しいと思う動機など、分かりようもありませんけど、煙と一緒かな ぐらいの感想です。

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