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私の個人主義

夏目漱石

さぼ郎
今朝は、5時ころに驟雨がありましたが、夜明けころには快晴になりました。

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もうじき、歳の市(別名、羽子板市)だそうです。

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雨の後の快晴のせいか、心なし、空気がきれいな感じがします。

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夏目漱石には「私の個人主義」という文章があります。学習院で大正3年に公演したときの原稿のようなものです。

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冒頭で目黒のさんまの話から、学習院の学生が漱石の話しを聞くということは、あたかも目黒のさんまを愛でるようなものだろうという話から、英文学への考えを話していきます。

ポイントは「自己本位」という言葉を手にすることから、自分が強くなったといいます。

自己本位」という考えに至ってから、今日なお生きていられるような心持ちがするとまで言っています。

必要なのは「自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚」がありさえすれば、誰がなんと言おうが自分は満足ができると言っています。

学習院には貧民が来る学校ではない。学習院に来るような子弟に付与されているのが「権力」である。学習院から世に出れば貧民より多くの権力が使える。その権力は、幸福と安心を供与してくれるかも知れないけれど、実際には個々の持って生まれた個性が、何かを掘り当てたときに始めて安住の地を得られるのである。

権力とは、自分の個性を他人の頭の上に無理やり押し付ける道具なのである。

権力に次ぐものは金力である。その金力も学習院の学生は貧民より余計に所有している。

この金力も、自分の個性を貧乏人より余計に他人の上に押し付けることができる。

権力も金力も偉いようでいて、その実非常に危険である。個性は、本来、自己の落ち着くべきところ行って始めて発展しうるものである。

公平の眼を具し、正義の観念を持つ以上は自己の幸福のために個性を発展させていくと同時に、その自由を他にも与えなければ辻褄が合わないわけで、権力も金力も、使い方で他の個性を妨害しうる道具であることに気づかなければ行使してはいけない。

なぜなら、義務のない権力など世の中にあってはいけないからである。

と、まぁ、このような話でが書かれています。

まさに、いま、内閣府で行われていることが、義務の伴わない権力の行使であり、東京大学を優等で卒業した官僚たちの個性を否定し、嘘のつき放題を強要する権力者の横暴横柄を許しているわけですから、今の世に夏目漱石が存命だったら、どれだけ痛烈に現政権を罵倒するものかは見ものだったと思います。

それでも支持率が下がらないという現象は、
支持層が固定されている
支持しない人々は政治に興味を持たない
株価さえ上がればいいという人も多い(カブノミクス?)

次を担う人は大変だと思います。痛みのない改革など考えようがありません。つまりは、今の政権を少しでも先延ばしをさせて、金融も経済も悪くなるまで続けさせることが、一番いいお仕置きになるように思います。

かならず、虚構は破滅するのは世に常です。単に担がれている神輿でしかなく、その神輿には御霊も無いような有様。それでも義務の伴わない権力を厚顔にも夫婦して行使しているのだから、これほど好い加減なことはありません。

幸いに野党も相変わらず弱いし、自民党の中に後継者もいないようです。舵取りがあのざまでも、いまだに舟が沈没していないのは、ひとえに優良な国民性ゆえの事と思うしか無いようです。

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