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能と狂言

さぼ郎
過日、横浜楽堂で人間国宝の野村万作の狂言と、の「隅田川」を鑑賞してきました。

といえば、さも偉そうな感じですが、正直、狂言もも、言葉がほとんどわかりませんでした。

北条高時は田楽に耽溺したと「太平記」で描かれていました。この田楽や猿楽が「」になるようですが、狂いで有名な将軍は、なんと言っても綱吉ですね。

足利義満が観阿弥世阿弥のパトロンになってを幽玄の世界に昇華させていったわけです。に関するお宝は室町時代のものが至宝になるようで、大衆の芸術が貴族社会や大大名、はては将軍までが虜になるくらいに面白いもののようです。

彼らには、あの言葉がわかるからこそ、面白いのでしょう。少なくとも、ワタシには残念ながらその素地がなく、理解が伴わないので、所作や謡などの味までの良し悪しなど、到底踏み込むことはできませんでした。

ナショナリズムが各国で盛んになりつつ有る昨今ですが、ナショナリズムといえば「国家主義、国民主義、国粋主義、民族主義」のような日本語に当てるわけですが、いわば国家と運命をともにすることをやぶさかではないとする考え方なのでしょうか。

「国粋主義」というと自国民や自国の文化・伝統の独自性を強調・維持・発揚、あるいは守ろうとする考え方なのだそうです。平田篤胤とか本居宣長などというヒト達は、塾もインターネットもない時代に源氏物語を読んだり日本書紀や古事記にも精通していたのだそうですから、こうしたヒト達の教養から国粋主義に傾くというのも、一理はありそうです。

井伊直弼が冷や飯食いで埋木舎(うもれぎのや)で村山たか女と情交を結び、長野主膳に和歌や国学を教わっていたのが、彦根藩の藩主となり、あれよあれよという間に江戸城の大老になるわけです。

本来は国学のヒトであったはずなのに、日米修好条約を孝明天皇の勅許を得ずに結んだのがけしからんとしてナショナリストの攘夷派のテロ(それも主として水戸藩の)に会うわけで、時代の流れというのは、本人の意志とは関わりなくダイナミックに動いていくものです。

井伊直弼は彦根藩主になると、村山たか女を長野主膳に払い下げし、井伊直弼が暗殺されると長野主膳は彦根で切腹になり、たか女は攘夷派に捕まり、息子は斬首でさらし首、たか女は三条河原に三日三晩晒し者になるわけで、これがNHK大河の第一話の「花の生涯」で描かれます。

井伊直弼が尾上松緑、村山たか女は淡島千景、長野主膳は佐田啓二。余談ですが、当時の映画俳優はテレビには出られない約束があったのだそうですが、これで協定が破られて淡島千景もテレビに出演できたとのことです。

ジャニーズのタレントが安易に主役になるような安作りの昨今のテレビドラマとは、根本的に違ったわけで、NHKも考えを改める時期に来ているような気もします。

と、どういうわけか国家とか国粋となると、出てくるのが万世一系のお方になりますが、や狂言、はたまた和歌などの国学にならないのも不思議です。

日本書紀、古事記、源氏物語、万葉集などに精通どころか有るのを知っている程度で中身は全く知らないワタシには人間国宝のありがたみもわからず、ひたすら前に座った姿勢の良い座高の高い人の頭だけを眺めながらおケツの痛み(椅子の具合がよくない)に耐えていた2時間でした。

やはり、人間に必要なのは滋味と教養ですね。これがなければ国粋主義など、到底手の届かない話だと痛感しました。

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