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あれこれ

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人生の無駄、あるいは無駄な人生

さぼ郎
何が無駄で、何が有益なのかは人によって、また、その時々によって異なるのでしょう。

空荷

英語で「無駄」を調べてみました。
wasteful
浪費 のようです。
uneconomical
不経済 だそうです。
fruitless
実りのない
vain
無益な
bootless
無益な
futile
役に立たない
ineffectual
効果のない
otiose
余計な
futile
むなしい

日本では、「無駄」とは、荷物を運ばない、空荷の馬のことですよね。荷物を運ばなければお金が稼げないのだから、「無駄」になってしまいます。英語圏でも、なんらの経済効果をもたらさないことを云うようで、共通している感じです。

要するに「無駄」とは、空の荷を運ぶことに等しいことと思えばいいわけです。

新渡戸稲造の「修養」という本があります。「修養」などというと、日本会議的修身の話のように思われてしまいそうですが、図書館にあったので手にとって「まえがき」を読んで、なるほどと思ったものの、この手の抹香臭い本を読もうとまでは思いませんでした。

で、「まえがき」には、ひたすら勉強する学者がいて、来る日も来る日も勉強をしているうちに歳をとって、そうこうするうちに学んだハズの学問を忘れるようになり、ついには友の名も忘れるようになってしまった というような書き出しでした。

つまり、学んだことは誰にも影響を与えなかったし、学んだことで社会が良くなったわけでもないということ。

学者

高邁な学者先生とは比べモノにはなりませんが、かく申すワタシもいくら本を読んでも、はたから忘れていきます。

同じ本を2回買う(あるいは図書館から借りる)こともあり、忘れたということは読まなかったことと同じで、「無駄」という意味においては、そもそも読まなかった以上に、読んで忘れたというエネルギーコストを考えれば、「徒労」以外の何物でもありません。

徒労」を調べてみると「無駄な骨折り」とのことで、「骨折り」をしたことが、「アダ」であると言っています。つまり、読んでも忘れてしまう読書なら、読まずにボ~ッとしている「無駄」のほうが賢いとも言えそうです。

そのようなことを人様にお話すると、「そんなことはない。有形、無形の実になって役に立っているはず」と諭されます。

いま、まさに平昌オリンピックもたけなわです。成果がメダルだとするなら、あれほど努力をして予選すら通過できなかったなら、すべての努力は「徒労」だったといえるのかは、あれほど努力したことがないので分かりません。

参加することに意義があるなら、参加できたということで達成はされています。

オリンピック

ナンバーワンより、オンリーワン」という歌が流行ったことがありましたが、「ナンバーワン」は唯一無二であるという意味で「オンリーワン」でもあるわけですし、「オンリーワン」であるということは、そのことにおいては「ナンバーワン」であるわけで、そもそも、対極にある言葉でもないように思います。イトコみたいな関係じゃないでしょうか。

日本で小説を書く人たちは「芥川賞」や「直木賞」がプライドなのか。
自然科学で学問を修める人たちにとっては「ノーベル賞」が到達点なのか。

では、いったい何個のノーベル賞を配れば、世界は平和になり、経済は安定して良くなるのか。なにも変わらないのなら、では一体何のためのノーベル賞なのか?

ノーベル賞

極めるものが全くない身の上では、考えも及びませんが、文学の世界にも競争があって、プライド(あるいはアワード、あるいは賞金?)を目指して競い合うことで、文学が高みを目指せるものなのかは不明です。

まして、文学とは「言語との結びつき」抜きには考えられないなどと稚拙な考えを持つならば、ノーベル文学賞の存在意義すら不明になってしまいます。

枕草子」が「The pillow Book」になってしまう英語で、日本文学を賞賛してもらっても、あまりうれしくはありません。

枕

無駄」とは空荷の馬を曳くこと。
無益」とは益もないことをすること。

ワタシにとっては、

・読んで忘れてしまう読書
・単に面白いだけの空疎なテレビ
・国家がバイアスかけたニュース
・テレビと同じく空疎なYouTubeの動画

あたりが該当しそうですが、かといって他に「有益」なことも見当たりません。考えてみたら、自己の存在そのものが、そもそも「無駄」なんでしょうね。ゼロに何を掛けてもゼロになってしまいます。せめて、能力が足し算だったら、もう少しなんとかなるものをと、今更歯ぎしりした所で、それすらも無駄なイキミでしかありません。

残念!


2018年2月20日の月

月
CANONポケットカメラ 80倍で撮影

人の悟りをうる、水に月の宿るがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなる月にてあれど、尺寸の水にやどる。全月も弥天も、草の露にも宿り、一滴の水にもやどる。悟りの人を破らざること、月の水をうがたざるがごとし。時節の長短は、大水小水を検点し、天月の広狭を弁取すべし。

世の中は 何にたとえん 水鳥の
嘴ふる露に やどる月影

いまから800年も前の人の読む和歌の世界感を、その時から800年も経っているのに少しも超えることができません。

残念!

今から、800年前というと、テレビはなく、新聞もなく、インターネットもなく、スマホもなかった。よって、これらが「無駄」を提供しているのだと愚行する次第です。

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