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クロマチック・ハーモニカ発表演奏会

天気は快晴

さぼ郎
ハーモニカ

知人(というか人生の大先輩)の演奏があるというのでクロマティック・ハーモニカ発表演奏会に行ってきました。

ルーテル市ヶ谷

市ヶ谷にある「ルーテル市ヶ谷センター」という会場です。

演奏は、こちら。演奏者は、通称というか自称というか、ともかく「カント」さんです。



ハーモニカについて、調べてみました。何かを知りたい時のwikiによれば、「ハーモニカの発明者は諸説ある」とのことですが、「その起源は1820年頃に作られたオルガンの調律用の道具が有力」だそうです。
クリスチャン・フリードリッヒ・ルードヴィッヒ・ブッシュマン (Christian Friedrich Ludwig Buschmann、1805年6月17日 - 1864年10月1日) という当時16歳の少年が試作
とのことで、彼がオルガンの調律のために作ったのが最初のようです。のちに彼はアコーディオンも発明しています。ハーモニカもアコーディオンもドイツが発祥の地だったんですね。

日本へは、
ハーモニカの日本への渡来は、1896年(明治29年)8月刊の「手風琴独まなび」に掲載された広告に「西洋横笛(ハーモニカ)25銭、30銭、50銭、80銭、1円20銭、2円、2円50銭 、呼吸に任す自在の袖珍楽器なり」
とあり、ドイツで発明されてから90年遅れで日本に来ているようです。しかし、半音が出せないためにプロ用の楽器としての普及が難しかったようですが、1920年代にクロマチック・ハーモニカが登場することで、あらゆる楽器と競演できるように発展したのだそうです。

日本には「笙」という楽器があります。こちらはハーモニカと違って吹いても吸っても同じ音が出るとwikiにかかれていますが、あまり詳しくな書かれていません。

奈良時代に雅楽と共に伝わったとのことです。朝鮮半島から来た雅楽と、中国から来た雅楽とで違いがあるという説明を聞いたことがあります。

ここまでがハーモニカに関する話。

次義に「ルーテル」と聞いた時、キリスト教関連の施設だなと素人ながら思いましたので、少し調べてみました。
「ルーテル」という日本語名は、マルティン・ルター(Martin Luther) の舞台ドイツ語読みに由来する。
ということで、1517年、マルティン・ルターによってドイツの宗教改革が行われたのだそうです。

マルティン・ルター
wiki「マルティン・ルター」にリンク ↑

ルターは当初、教会内部の改革を目指していたのだそうですが、カトリックから破門され、プロテスタントとして明確な信仰基準と組織を作ることとなり、スウェーデンやデンマークでは国教となるなど広がり、移民とともにアメリカにも広がっていったのだそうです。

教義については興味もないので触れようもありません。そもそも、カトリックとプロテスタントの違いすらわかりませんが、いまのところ、興味もないで、それはそれとして、そういうことのようです。

そもそも、プロテスタントは、このルターが作ったのだそうです。高校時代にならったかも知れませんが、そんな事も知らないのだから、語る資格はありません。

ダンケルクという映画のDVDを観ました。

ダンケルク

はっきり言って、特に面白いと思いませんでした。

日本で作る戦争映画と同様で、リアリティにかけています。帰りの船が来るのをダンケルクの砂浜で部隊ごとに整列して待っているところをドイツが空から攻撃してきます。

ダンケルク

が、空から散発的に攻撃するなら陸から砲撃したほうが良さそうだと思います。爆弾が落ちてそこいらに死者がころがっていますが、みんな五体がばらばらにはなっていませんし、血もでていません。

攻撃するならするで、制空権を取っているのだから戦闘機や急降下爆撃機ではなく、通常の爆撃機で攻撃すれば良さそうなものです。

ドーバー海峡をカレーからではなくダンケルクから渡ろうとしているのは、カレーにいたイギリス軍を犠牲にしてドイツ軍をひきつけておいたのだそうで、その間にダンケルクから引き上げたようです。

助けに行く漁船や遊覧船で30万人を助けたらしいのですが、1隻に20人乗せたとして小型の船が1万5千隻必要になってしまいます。2往復しても7千隻以上。

それをドイツがポカンとして見逃すとも思えないのです。大型の駆逐艦とか輸送船だと潜水艦攻撃を仕掛けてきますが、それなら、ドイツも戦艦とか攻撃性の高い船を出せばいいように思います。

さらに、空中戦は、ドイツのメッサーシュミットはイギリスのスピットファイヤーにことごとく撃ち落とされてしまいます。おまけに燃料の切れたスピットファイヤーにまで、メッサーシュミットが撃ち落とされてしまいます。

要するに、なにがいいたいのか(おそらく民間の船がダンケルクに集結したイギリスの敗残兵を救出したことをいいたかった)のポイントが、ハンセンとかになっていない点で「永遠のゼロ」的なもののように感じました。

もう一つ合点がいかないこと。ダンケルクに行く途中で沈没した船にいたイギリス兵が船の中で暴れて、17歳の少年が重症を負い死にますが。これって必要な場面だったのか?

1921年の日本だそうです。

なんともはや という感じは否めません。日本で戦争映画を作るなら、ぜひ、「ペリリュー島」をやってほしいと思います。そして、2015年にパラオに行った天皇皇后がなぜ、ペリリュー島に慰霊に言ったのか。

そこを憲法改正議論の前に考えてみなければと思っています。
山口少尉を最高位として34名が生き残った。その34名はアメリカ軍の食糧貯蔵庫を襲撃し3年分の食糧を確保すると手製の蛮刀と手榴弾で武装し、アメリカ軍の遺棄物資や手作りの生活用品を用いながら2年近く洞窟内で生きながらえたが、1947年4月22日に澄川道男少将の誘導により米軍へ投降

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