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さぼ郎
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老子曰く、言者は知らず、知者は言はずと。還初道人曰く、山林の楽を談ずる者、未だ必ずしも真に山林の趣を得ずと。政治を談ずる者、政治を知らず。宗教を談ずる者、宗教を知らず。英仏の法を説き、独露の学を講ずる者、未だ必ずしも英仏独露を知らず。文学の書を著し、哲理の説を為すもの、未だ必ずしも文学・哲理を知らず。知らざるを知らずとせず、而して之を口にし、之を筆にし、以て天下に公にす。知者は之を見て、その謬妄を笑ひ、知らぬ者は之を聞きて、その博識に服す。故に之を談ずる者いよいよ多くして、之を知る者いよいよ少し。
明治廿五年十月廿四日
獺祭書屋主人 識
ありていにいえば、よく喋る人は実は喋るほどの内容しか知らなくて、よく知っているヒトは、知っているがためにさほどには喋らないということです。知らないことを知らないわけだから、全てを知っていると思ってしまうところが滑稽で、その「謬妄」を笑っているヒトがいるということを、25歳の子規が書いています。

この文書に触れて、書いている内容の意味よりも、こうしたことを若干25歳の青年が書けた時代に不思議を感じています。

正岡子規は1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉に生まれ、1902年〈明治35年〉9月19日に亡くなっています。

正岡子規
wiki「正岡子規」にリンク ↑

25年の人生で、これだけの文章が書け、35年の人生で後世に残る名声と文学を残せるとは、いったい、どういうことなのでしょうか?

子規が生まれた5年後には樋口一葉が生まれています。

単に個人の才能だけではないような気がしています。では、今と昔との教育の違いは何だったのでしょうか? その違いが、類まれなる才能を開花させたと考えることはできそうです。

杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、田鵑

これらは全て「ホトトギス」と読むのだそうです。「子規」は、喀血したから付けた名前なのだそうです。というのは、不如帰去」(帰り去くに如かず。= 帰りたい)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いたという故事にちなんでいるのだそうです。

なぜ、そんな故事を知っているのか、なぜ、そんな故事から自分のペンネームにしようと思うのか?

一葉

樋口一葉は「夏子」というのが実名だそうですが、なぜ、「一葉」としたかですが、諸説あるようですが、一番、本当っぽいのが10代ですでに、蘇東坡の詩「前赤壁賦」を暗誦していたそうですが、その詩の中に「一葉」が使われています。

況吾與子    況んや吾と子と
漁樵於江渚之上 江渚の上に漁樵し
侶魚蝦而友糜鹿 魚蝦を侶とし糜鹿を友とし
一葉之扁舟  一葉の扁舟に駕し
舉匏樽以相屬  匏樽を舉げて以て相ひ屬し
寄蜉蝣與天地  蜉蝣を天地に寄す
渺滄海之一粟  渺たること滄海の一粟なるにおいてをや
哀吾生之須臾  吾が生の須臾たるを哀しみ
羨長江之無窮  長江の無窮なるを羨やむ
挾飛仙以遨遊  飛仙を挾んで以て遨遊し
抱明月而長終  明月を抱へて長へに終はらんこと
知不可乎驟得  驟には得べからざることを知り
托遺響於悲風  遺響を悲風に托さんと

長江の無窮をうらやみ、それに比べて己の人生の短さを悲しみ、せめて一葉の葉のような小さな船に乗って、悲しい風邪に「遺響」を託そうではないか、、、。

というような詩から、自分の人生を投影して「一葉」としたというのが、一番もっともらしいところです。

10代の一葉が、どうしてこのような漢詩を暗誦していたのかは知りませんが、10代にこのような教育を受けることが、その後の人生に大きな影響をあたえることは想像に難くありません。

自分を豊かにすることが、自分を喜ばせるわけです。お金が好きな人は、お金をたくさん集めることで自分が豊かになれるわけです。

豊か

一葉も子規も、お金を集めることにはあまり縁がなかったようですが、言葉から世界を生み出すことでは、とても豊かだったように思えます。

理数教育にしろ、英語教育にしろ、きっと、そんなことで国力を上げることにはつながらないし、人々の心を豊かにはしてくれそうもありません。

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