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あれこれ

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新年の決め事

さぼ郎
なんだかんだ言っていても、時は無情です。新年だからといっても、どうということもないわけですが、繁華街を除くとヒトの通りは少ないですね。

家でつまりもしないテレビを見ているのか、はたまた初詣とか帰省でしょうか。正月も3日となると、浅草神社の賽銭の列はずいぶん少なくなってきています。

TV8-301
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圧倒的にテレビはつまらなくなりました。歳のせいでそのように感じているのか(主観的?)、本当につまらないのか(客観的かつ普遍的)は分かりません。

テレビに出ている人たちは、あれで何千万円とか何億円とかのお金を稼いでいるのですから、彼らにとっては立派な「仕事」なのでしょうけれど、やっていることには、一般的に考えられる「仕事」のようには感じられません。

お笑い芸人」という職種があって、それは確かに元から多少は面白い人達なのでしょうけれど、漫才にしても落語にしても、それなりの修練が必要でしょう。単に思いつきで面白いこと言って笑わせるだけの番組の行き着く先として、先輩芸人が後輩芸人をイジメるような笑いになっていくのも、結構目にします。

なぜ、そうなったのかを考えてみれば「テレビ」という媒体の影響に間違いありません。芸人が寄席で芸を披露している間は、同じお笑いネタでもお客が変われば、それなりに受けたわけですがテレビでやってしまうと「それ、見たよ」となってしまいます。

制作側にすれば、ドラマのように役者がいて脚本があって、何回も練習をして積み上げるようにして作り上げていくのには、お金と時間と、そして才能(あるいはスタートしてのカリスマ)が必要です。

昔は、日本にも「役者」がいましたが、それはテレビが登場する前のフィルムの時代の名残りだったような気がします。

ということで、テレビを見なくなって久しいのですが、その代わりに見るようになっていたのがYouTubeとか、ネットのニュース類でした。ようはインターネット。

YouTubeは、あっという間に時間が経ってしまいます。海外のドッキリは、結構面白いものが多く、ついつい見てしまいますが、ただ面白いだけなので、きっぱり止めることにします。

政治関連(国会中継など)も、与党が圧倒的に議席を確保している以上、いかに野党が頑張ったとしても事態はなにも変わりません。また、野党を批判するような映像も結構多くあります。多くは、テロップが下から上に流れる型式で、音声は自動音声が多いです。

アメリカのドラマでCIA関連の組織が若者をたくさん集めて、そのそれぞれの人々が複数のアカウントを使ってプロパガンダをやっているシーンがありましたが、あそこまで組織的ではないにしろ、また、直接政府が関与するわけでもないでしょうが、それ的なことが行われているような気がします。

そんなこんなで政治絡みのYouTubeもきっぱり辞めます。

次に時間の無駄と思えるのがニュースです。考えてみれば、トランプ大統領がエルサレムにアメリカ大使館を移したとしても、賛成も批判もできないわけです。

金正恩が核を開発しようがICBMを打ち上げようが、逃げることすらできませんし、安倍首相が憲法を改正して自衛隊を国防軍にしようが、自民党の国会議員が3分の2を占めていれば、モリだろうがカケだろうが、合法の範囲内なわけですので、とやかく言うとすれば次の総選挙で野党に投票するかぐらいができることの精一杯なわけです。

ということで、世の中で何が起きたところで、直接の関わりのないことには興味も持たず、意見も持たないことにしました。

もう一つ辞めたことは、テレビ東京の「ビジネスオンライン」を月額500円で見ていましたが、これも年末に辞めました。

毎日、証券会社の人達が来て難しい分析の表やグラフを解説していましたが、よくよく考えてみれば、世界の経済がどうなった所で、なるようにしかならないし、なるようにならなければ落ちぶれるだけのことでしか無いように思います。

ついでに、やめようと思っていることの一つが、現代小説を読むことです。ノーベル文学賞の時期になると必ずと言って「村上春樹」が取りざたされますが、誰が受賞するかはノーベル財団の勝手で決まるわけで、そこにはなんらの根拠も脈絡も無いわけです。

ノーベル賞

いま、たまたま道元の和歌の本を読んでいますが、彼は1200年の生まれで、縁あって鎌倉幕府(といっても北条氏)との関係が密になっていくようですが、そんな時代の文学としての「和歌」のチカラに、改めて深い感慨を得ています。

つまり、新しい文学を読むのであるなら、日本を日本たらしめてきたイニシエの文学に少し傾倒してみようと思っています。やるなら平安時代が良さそうですが、とりあえずは明治辺りから始めようと考えています。

かつて、時々ですが「今昔物語」をやっていましたが、それを復活するのもいいかなという思いもあります。

ということで、何に使ってもいい時間が、実は、かなり生まれることになります。そんな時間を、何に使うことが、自分にとって有効なのかを考えなければなりませんが、一番有効なのは、午睡と、ただひたすらボ~ッとしていることかもしれません。

昼寝

ただひたすらボ~ッとしていること」と「座禅」と「瞑想」と「ボケ」の違いが今ひとつわからないことではありますが、そろそろ「何かを頑張る」という無駄な抵抗を止める時なのかもしれません。

まとめ

1.テレビは飯食うとき以外に見ない
2.YouTubeも見ない
3.ニュースはタイトルくらいしか見ない
4.テレビ東京のインターネット配信を見るのを止める
5.現代物の小説は読まない

とはいえ、タバコやめれば家が建つわけでもありません。時間は余っても貯めることができないので、結果は同じです。

有意義に生きようが無意義に生きようが、「人生」とは所詮暇つぶしでしか無いわけです。

充実しようがしまいが、立身出世しようがしまいが、想い出たくさん作ろうが作るまいが、所詮は生まれたら、生きて死ぬだけのことで、人生とは単なる生きている時間の長短でしかないわけです。

残された時間を考えるに、願わくばヒトに迎合することを最少にすることと、ヒトからああせいこうせいと干渉されることを最小限にすること。

ま、このことに関しては意外と一貫性もなく生きてきたという反省は大いにあります。要は、意志が弱いの一言に尽きます。集中力がない上に意思が弱いのだから、何をするにしても「成就」は望みようがないことに、やっと気が付きました。

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