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人工知能を考えてみた

さぼ郎
人工知能をwikiで調べると、冒頭に以下の説明があります。
『コンピュータ(computer)』という道具を用いて『知能』を研究する計算機科学の一分野
「言語の理解や推論、問題解決などの知的行動を人間に代わってコンピューターに行わせる技術」
「計算機(コンピュータ)による知的な情報処理システムの設計や実現に関する研究分野」
これだと、なにが「人工知能」なのだか、その画期性を見出すことができません。

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イーロン・マスクと一緒にAIの研究をしているというマサチューセッツ工科大学(MIT)のマックス・テグマーク教授(物理学)のお話では、「人工知能といえども単なる情報の処理」とのことで、それをニューロンで行うか、シリコンで行うかの違いでしか無いというようなことが書かれていました。

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知能」って、単なる情報の処理なのか?

同時にマックス・テグマーク教授は「意識」を研究しているのだそうです。しかし、機械学習だろうがディープラーニングだろうが、目指しているところが「機械による意識」だとは、どこにも書かれていません。

機械による学習」とはいいますが、これとて、パターン認識と記憶の賜物であって、「理解」を前提とする「学習」とは根本的に異なるような気がします。

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自分なりに無い知恵で「知能」を考えてみたら、いくつかのフェーズがあるように思いました。

認識」をする。状況あるいは事態を「理解」する。「記憶」する。「理解」と「記憶」から「推論」をする。「応用」をする。「発想」をする。

認識」をするためには「意識」が必要かもしれません。

「そうなんだ!」「そういうことか!」が「理解」になると思いますが、これはきっと機械にはないと思います。「分析」と「記憶」は、機械のほうが有利かもしれません。

推理」は、機械の方は、おそらく確率で攻めてくると思います。データによっては、人間の推理より、機械による統計確率のほうが正確なような気もします。

仮に答えが3つになり、それぞれが33.33%だったとすると、機械が「判断」するのは難しいような気がします。どこかでループアウトしないとハングしてしまいそうです。

ループアウトするためには「判断」が必要になると思いますが、その「判断」には「意志」が必要になるわけです。

つまり、問題解決の入り口の「認識」と出口の「判断」が、機械には難しいような気がします。

そういえば、昨日読んでいたNewsweekに、「日本の一人あたりの生産性が低いのは単に日本の経営者が愚かだから」と書かれていました。

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ノルウェーとかフィンランド、スウェーデンなどでは日本比べて圧倒的に一人あたりの生産性が高いようです。日本が経済大国になったのは、単純化させて言うなら狭い国土に1億を超える人口を抱えているからで、決して一人あたりの生産性が高かった事はありませんでした。

愚かな経営者なら、機械に任せたほうがいいかもしれませんが、それなら愚かな政治家や賢さを自認している官僚という公務員をAI化するべきでしょうね。

「国会議員は国民から付託されている」などといいますが、小選挙区制では、選んだのは政党であって、選挙区で立候補している人たちの人柄に期待して選出しているわけではないのが、いまの選挙制度です。

立候補を公認してもらうためには政党幹部に忖度もするし、不都合なことでも黙認もするような今の政治は、決して民主主義ではないと思います。ま、必ずしも民主主義がいいわけでもないとは思いますが、他に方法がないわけで、他に選択がないといえば「野党」なわけで、経営者は愚かだから一人あたりの生産性が低いし、現下の政治は目を覆うばかりです。

政治家も官僚も経営者も愚かだということであるなら(当然、それを良しとして言う有権者も従業員も愚かなわけで)、日本こそ人工知能に専心するべきじゃないでしょうか。

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