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戦争

さぼ郎
日本では、江戸時代は戦争もなく平和であったことになっています。それは、統治がうまく行っていたからであることは間違いのないところであるけれど、経済規模が大きくなれば、当然のことながら「経済」という観点の統治に技術が必要になるのは自明のことでありました。

日経サイエンス2018年12月号の74ページに「戦争は人間の本能か」という記事がありました。闘争は本能であるかもしれないけれど、「戦争」という集団と集団の戦いが本能であるはずもなく、馬鹿な特集であることは間違いのないところですが、書いている人もあちらの人ですから、ま、そんなものなのでしょう。

そこに、ちょっとおもしろいなと思う囲み記事がありました。日本には縄文人骨が2582体あって、受傷による死亡が推定される人骨は23体の0.9%なのだそうです。

それが、弥生時代になると3289体のうち、100体の3%に増加するとのことで、しかも、北九州地方と近畿地方に集中して受傷人骨が出土するとのことで、戦いがあったことが予想されるようです。

特集記事の結論は「戦争は発明にすぎず、生物学的必然ではない」とのことで、そんなことは学者が論文書くほどのことでもないし、科学を標榜する雑誌に掲載するほどのことでもないように思うのですが、それが日経サイエンスの編集レベルというわけです。

ちょうど、「失敗の本質」という本を読んでいて、昨日、ミッドウェー海戦の失敗を読んでいました。米主力艦隊に比べて日本海軍の第一機動部隊は戦力も兵士の練度も圧倒するほどの優位であったにもかかわらず、みごとな負け戦になった原因についてのまとめがありました。

失敗の原因として第一は、山本五十六の戦略レベル、第二に実行部隊となった第一機動部隊となった南雲忠一の戦術レベル、第三として日本海軍全体の戦略用兵思想のレベルを上げています。

空母艦隊対空母艦隊としての本格的決戦としては、歴史上、ミッドウェー海戦が一番本格的だったわけですが、それにしては、見事と言っていいほどのお粗末な作戦指導の直接的な原因は源田実(参謀)と南雲忠一になると言っても過言ではないと思いますが、その優柔不断な采配の遠因は山本五十六の考えと南雲忠一の考え(コミュニケーション)のすり合わせが十分でなかったことは明確です。

第一機動部隊の司令官が山口多聞であったなら最低でも互角までは持っていけたと思います。日米ともに本格的な空母決戦がはじめての体験であったから、勝手が想定通りではなかったとは思うものの、戦略、練度ともに日本より遥かに低かったアメリカが勝ったのは決して「偶然」ではないわけです。

しかし、もっと、手前にい引いてみると、「経済学者たちの日米開戦」という本があって、そこに書かれているのは陸軍には秋丸機関という経済学者を集めた機関を作って、日本の戦争を経済の観点から徹底的に調べ上げていたとのことです。

その結論として日本軍は東進せずに西進することを決定していました。西進することでインドをイギリスから開放させることはドイツの後方支援にもなり、そのドイツは東進してスエズ運河を制圧する。インド洋の経済圏をドイツと日本で制圧することで資源確保ができるとしており、それまで決して東進してアメリカを呼びこまないことを陸軍として考えていたわけです。

しかし、ドイツはソ連に手を出した。それは領土的な目的ではなく、食料が尽きかけていてコーカサスの小麦が必要になった。

日本は山本五十六がハワイに奇襲をかけたことで、アメリカの敵愾心という火に油を注いでしまったわけです。

日本もドイツも、この平成という平和な時代からみれば負けるべきにして負けたわけですが、それは民族に優秀性だとか精神力だとか、そのような目方も測れないような力を根拠にした幼稚性が共通していると思います。

山本七平の「ある異常体験者の偏見」にも書かれていますが、油も鉄もない国が戦争をして中国が強かろうが弱かろうが、アメリカが強かろうが弱かろうが勝てるはずもないことは子供でもわかると書いています。

勝っても当然のミッドウェーにも負ける日本海軍には、きっと構造的欠陥があって、その欠陥は下士官や兵隊にあるのではなく、上層部、それもトップと上層部との組織的関係に大いなる欠陥があるような気がします。

東芝が斜陽になり、シャープが斜陽になり、日産では外人の経営者に好き勝手を許し、東電は福島の原発を破壊させて何十万人の生活を破棄して、森友では決裁文書の改善で自殺者も出しているにもかかわらず、一人として捕縛された人もおらず、その後の人生を悠々自適で過ごしています。

インパール作戦を起案した牟田口廉也は20万人の将兵を犬死させたにもかかわらず、戦後、天寿を全うし、インパール作戦に関しては、時分の作戦は妥当であったが部下が無能だったと確信していたようです。

上層部の確信的暴走(当然、当人は暴走していることに気がついていない)に対して、取り巻きが的確な判断ができないという、組織的というか歴史的というか民族的とも言えそうな構造欠陥が潜んでいるような気がします。

だれかが、山本五十六に、あるいは東条英機に、あるいは天皇に、「馬鹿なことはするな」といえる組織でなければ、組織が巨大になるほどに、上層部の戦略なり戦術なりで大企業がかた向くことは大いに有り得る話です。

トヨタなども同様で、今の社長が明らかな間違いを実行しようとしたときに「馬鹿なことはするな」といえる幕僚がいるかが組織構造のポイントになりそうです。

これは組織の統治の仕組みに問題があることは、間違いのないところで、その理由についてはワタシごときにはわかろうはずもないのですが、外形的な事実を申し述べるなら大企業も政治家も「爺ィ」が多すぎることと無関係ではないように思います。

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