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視点

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愛国心

国を守る義務

さぼ郎
個人的には「田原総一朗」さんが、あまり得意でないので、彼の出る番組を積極的には見ませんが、過日、ウーマンラッシュアワーの「村本大輔」というヒトとやり取りがあったという記事を見て、ちょっと調べてみました。

国民には、国を守る義務があると思う

という田原さんの発言に対して「それを絶対に戦争に行かない年寄りに言われても何もピンと来ることないんですよ」と村本さんが切り替えしたそうです。年寄りじゃないヒトが言ったとしても、素直に「そうですね」と言ってはいけない内容でありそうです。

愛国

ま、国を守る義務が戦争に行くことだけだとは思えないのですが、村本さんの視点としては間違っていないし、インパール作戦で3万人もの将兵を結果として殺した牟田口廉也司令官だって、戦後を生き抜き天寿を全うし国を守る義務を将兵に課してはいますが本人の義務はどうなっているんだ って思いました。

ありえないことではありますが、もし、戦争になれば、行くのは庶民であって、田原さんだけでなく、政治家や学者や司令官や参謀や皇族は、戦地に見物には行くかもしれませんが、ジャングルを徘徊して飢えて死ぬことは絶対的に無いわけです。そういう人たちに限って、声高に「国を守る義務」などというわけです。

で、この「義務」は法的な根拠はありません。憲法で「義務」を検索すると

保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ
勤労の権利を有し、義務を負ふ
納税の義務を負ふ

とありまして、主語は「すべての国民」となっています。「愛国」を検索しても0個です。つまり、日本国憲法においては国を愛することを義務とはしていないわけです。

」は憲法の中で2個使われています。前文に「平和をする諸国民の公正と信義に信頼して」という部分と、「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博の事業に対し」公金を支出してはいけないという部分。

もし、徴兵ということになると「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」に触れることになり、徴兵とは「奴隷的拘束」にほかならないわけです。

憲法の前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」したことによって憲法を定めたわけです。「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」というのは、戦前の日本が国家神道によって、「専制と隷従、圧迫と偏狭」を実践してしまった反省に立っているのだと考えることが出来ます。

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要」とするとされ、むしろ、国が国民を愛することを義務にしているような書き方になっています。

愛国心」というと聞こえはいいのですが、上に立つ人間からすれば単なる「忠誠心」のことでしかありません。「国を守る義務」も同じことで、国を守るために忠誠を尽くせということになります。

明治維新により、例えば「国家神道」などという考えも強烈で、「神道」とは書かれているものの、これは宗教ではなく道徳であるとして、天皇を神格化していくわけです。倒幕後の中核に神格化された天皇を置くことは新政府にとっても意向が一致しており明治時代の国民思想に大きな影響を与えたことは、そんなに外れてはいないと思います。

明治5年には、天皇を「奉戴」することを命じた「三条ノ教則」(残り2か条は敬神愛国、天理人道を明らかにする)を国民教導の中心にするなど、当時の日本人のアイデンティティとして大きな部分を形成していったようです。

特攻や玉砕や国際法軽視の残虐行為、生きて虜囚の辱めを受けないなど、愛国を義務付けられた事による影響は軽視出来ないと思います。過日、NHKでやっていた石井細菌部隊に関わった京都帝国大学、東京帝国大学の学者達だって、ある意味、「愛国」という側面は否定できないと思うのです。

石井四郎
wiki「731部隊」にリンク ↑

それが積極的な教条であるヒトもいれば、消極的であり自己詭弁として「愛国」のために非道をなすヒトもいたでしょう。

つまり、平和で自由な社会においては、言葉を「原理」として使うことの危険を考えなければいけないと思います。まして影響力のある人やマスコミは、軽々に「愛国」とか「義務」と云うような言葉を使うことには、政治的に意図があるのか、はたまた軽薄な輩なのではないかと思ってしまいます。

国を愛することがいけないのではなく、思考停止になることが最も忌避すべきこと思います。

たまたま、天皇の葬儀について書かれている本がありましたが、明治、大正、昭和の天皇は「大喪の礼」という儀式を行っていました。この葬式のスタイルは日本古来の伝統だというような触れ込みだったと思います。しかし、聖武(持統?)天皇以降、2、3の例外を除いて幕末まで仏式で火葬しているのだそうです。

薄葬令」というのが大化2年に出されていて、解釈は色々あるらしいのですが、要するには国民の負担になるような大規模な葬式はやめようという原則が作られたとも書かれていますが、その時代にいたわけではないので詳しいことは知りません。

あの、大喪の礼」と言うのは古墳時代の葬儀のやり方のようです。つまり、明治になって国家神道で国を統一した名ごりが、戦後の今の日本に息づいているわけです。

テレビを見なかったのでYouTubeで少し村本さんの発言を見ました。そういう意見もあっていいと思いますが、これまた、真剣な議論などではなく、政治を題材としたタレント化した学者や評論家や政治家が、政治をネタにした単なるエンターテイメント(娯楽、余興、気晴らし、演芸)のような感じでした。

政治や憲法のことは、このような茶番で扱うのではなく、もっと真剣にまともにとりあげるべきではないでしょうか。まして、安倍政権になって、安保法制はなし崩しに違憲審査もせずに解釈で改憲してしまっていますし、今度は憲法を改正しようとしています。

憲法に目方があるとするなら、日本国が始まって以来で今が一番、軽くなっているような気がします。

日本国憲法

いろいろな立場の人がいて、いろいろな意見もあって、それはそれでいいことなのですが、国家の規範に関わることの改正などは、いくら1強だと言っても1内閣で決めるべきことではなく、憲法改正などは必ず衆議院選挙を経なければ通過しないような歯止めが必要だと思います。

なぜなら、国家戦略特区をみれば、1強の弊害はあきらかじゃないでしょうか。

「憲法の使い方考えよう=劇作家・萩原雄太氏-インタビュー・憲法改正を問う」という記事がありました。

俺が世
「劇作家の萩原雄太氏」の記事にリンク ↑

演劇「俺が代」というのだそうです。憲法に書かれている「国民」を「」に置き換えて読み直して見るようです。

『国政は、の厳粛な信託によるものであつて、その権威はに由来し、、、』

となります。しかし、「」がワタシのこととするなら、さざれ石のままで、巌になりそうもありませんし、生きた証が苔がむすまで残ることもなさそうです。

それに比べれば万世一系はさすがに大したものです。

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