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視点

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ちょっと違う経験から

さぼ郎
知己から頼まれて、ちょっと違う経験をしています。

そこには、通常なら絶対に行き合わない人々がいて、仕事を通じて、いろいろな話をすることとなります。

つまり、自分の世界が広がるわけです。

img01 世界

そこで、つらつら考えるに、まず、世界にはいろいろな「仕事」があるということ。と、同時にいろいろな「仕事の形態」がある事でもあります。

昨日一緒に組んでいた彼はモンゴルから来ているのだそうです。30代前半で娘二人と奥さんをモンゴルに残して働きに来ています。

英語と日本語ができるということでしたが、「英語は中学からやっているから」とのことでした。それって、日本と同じだけれど、日本では中高大で英語をやっても日常会話ができる人は、宝くじレベルの確率ぐらいしかいません。

フィンランドでも高校を出るとフィンランド語とは別に英語では日常会話ができるようになるのが当たり前だそうです。

つまり、日本の教育の何かが悪いわけです。確かに「加計友」の文部大臣も悪そうですが、本家本元の文部省と傘下の教員のなにかに根本的な原因があるうように思います。

で、モンゴルの彼氏ですが日本語が全くできずに日本に来て2年で、ほぼ日常会話は成立します。

で、言語のことではなく、彼氏の仕事ぶりなのですが、通常では考えられないくらいテキパキしていて段取りがいいし、物覚えが優れています。

有り体にいえば、「優秀」なのです。そして、なにより感じが良い青年であるということです。

こうした、優秀な人材が「派遣」で働いているという日本の就業環境を考えると、今の日本のなにかに、英語教育と同様な、根本的な間違いがあるような気がします。

彼は家族を日本に呼びたいと言うことで申請をしているのだそうですが、いまだ沙汰が無いとのことです。

天下国家を論じるような立場でもないので、どうこういう気もないのですが、仕事の環境がちょっとの間、変わっただけで出会った人々の中に、とても優秀で好感度の高い人材が、かくも多くいるものかという新鮮な思いと驚き、そして、こうした人材の多くが派遣労働に従事しているという現状には、暗澹とせざるを得ません。

話変わって、Newsweekの2019.10.8号です。「経済超入門」という特集です。

近い未来に年金は2~3割は減少すると予測されていました。それが「マクロ経済スライド」なのだそうです。

つまり現役時代に資産を形成できなかった残念な人々の老後は、結論から言えば「早く死ね!」ということでしかありません。

しかし、これは政府のせいでも国家のせいでもなく、ひとえに自分のせいでしかないわけです。死なない行き手入れば、かならず老後が来ることはわかっていたのに、そのことの受け止めが軽かったのだと反省をしなければなりませんが、かと言ってあまり反省もしていないのだから困ったものです。

確かに運不運はあったかもしれないけれど、同じ人生の時間を使っていたわけですから。

こんな話も記載されていました。タクシーの運転手で、一日の売上を決めている運転手がいるとします。早々に売上を達成できると家に帰って一杯やることができますが、いくら頑張っても一日の売上ができない日はずっと流しているのだそうです。

これは、経済学者からすれば「逆」だということです。簡単に売上が達成できる日こそ一日中頑張るべきで、いくら流しても売上ができない日こそ、早々に切り上げるべきなのだそうです。

言われてみればあたりまえのことですが、当事者としては、その当たり前を頭の中に描くことができません。こうしたことは人間に特有なことなのだそうです。

例えば、ワインショップで4万円のワインを置いておくと、子のワインはそうそう売れるわけではありませんが、4千円のワインが売れやすくなるのだそうです。同時に2千円のワインを買う人が少なくなる。

img02 ワイン

人間に特有なのが「欲」と「見栄」ですね。この2つが多くの人間の失敗の元となっていることは、人生を描いた小説にはいくらでも書かれています。

そう言えば、今更ですが夏目漱石の「坊っちゃん」を読み終り、いま「吾輩は猫である」を読んでいます。

「こころ」は、ガキの頃に読みまして、漱石に、あまりいい印象を持っていませんでしたが、爺になって「それから」「門」「明暗」「草枕」「道草」「硝子戸の内」などを読むと、やはり、文学ってチカラがあるものだと改めて感心しています。

夏目漱石は、たしかに日本にとっての宝となる小説を多く書きましたし、千円札にもなりました。

しかし、その夏目漱石の文学の基底にあるのは、少なからず漢文や江戸(旧幕)文学の影響があることは自明です。プラス、英国での経験や英文学の素養。

中国ではウイグル文化を抹殺しようとしています。ロシアがウクライナに進行したことで経済制裁をしているわけですが、中国が新疆ウイグル自治区で行っている文化抹消政策に対して世界が経済制裁をするべきなのに、グローバリズムとかで、中国が世界経済の一翼を担うレベルが高すぎて、面と向かってものを申すことができなくなっています。

文化大革命の二の舞で、中国共産党にとってコントロールしやすい国民にすることで国家の効率を図ろうとしているわけですが、たかが「国家」一時代の一国家にとって、文化の多様性を犠牲にするほどの価値はありません。

中国そのものを見ればわかるように、国家の効率を重視するゆえに、文化大革命と称して中国の世界に誇るべき文化を大破壊してしまいました。それと同じことを新疆ウイグル自治区で行っているわけで、国民の幸福を追求する国家ではなく、国家(を運営する人々)の幸福を追求することのために国民を犠牲にしている異様な巨大国家になっています。

しかし、中国の歴史を見る限り、今の共産党支配だって、あと千年も二千年も続かないだろうことは歴史が示しています。

img03 砂上の楼閣

犠牲の上に楼閣は作れるはずがありません。

中国の歴史はともかく「坊っちゃん」に出てくる「静」がお墓で「坊っちゃんがくるのを楽しみに待っています」といって待っているお墓がある養源寺は、祖父のお墓がある蓮光寺の向かいですので、今度行ってこようと思っています。

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