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山の動く日来る

さぼ郎
山の動く日来る
かく云いへども人われを信ぜじ
山は姑く眠りしのみ
その昔に於て
山は皆火に燃えて
動きしものを。
されど、
そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女
今ぞ目覚めて動くなる。

明治44年に雑誌「青鞜」の創刊を目指していた平塚らいてうが与謝野晶子に寄稿を頼みに行った時、声は小さくか細く、うつむき加減で、らいてうは失望を禁じ得なかったそうですが、届いた詩が、「山の動く日来る」だったそうで、らいてうが感激したのだそうです。

江戸時代、そして明治と女性が社会の前面で活躍しない時代が続いたけれど、それを休火山にたとえ、「すべて眠りし女、今ぞ目覚めて動くなる」と書くから、先入観では、凄い烈女のように勝手に思い込んでいた。

与謝野晶子は平安文学に精通していたそうです。平安時代、鎌倉時代には、江戸時代よりも女性が社会で活躍していた時代でもあります。彼女は、平安文学を通じて、そのようなことをしっかり認識していたからこその、「今ぞ目覚めて動くなる」との言葉が湧き出てきたのでしょう。

あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

これなんか有名ですよね。反戦の歌としてこれより的確な文章はきっとないのではないでしょうか。

君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみずから出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道で死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おほみこころのふかければ
もとよりいかで思されむ

死ぬことをホマレだなんて、スメラミコトが言うはずがない。

今読んでいる「靖国史観」でも、「国体」に関して会沢正志斎の説を取り上げて展開しているが、それによれば、単に天皇を頂点に戴く国家の有り様を言うのでなく、「天祖の御神勅」が不可欠であり、仮にそれがいかに天皇あったとして天祖の御神勅」なしに「国体」はありえないという。

それ故に、天皇と国体にとって「祭祀」が不可欠であると説くのである。

その天祖の御神勅」によって、スメラミコトが赤子たる国民に「人を殺せとをしへしや、人を殺して死ねよとて」などと言うはずもないと与謝野晶子は言うのであって、国に尽くすとは商人は商業で、職人はその技で尽くすべきものであって、戦をするなら軍人だけですればいいわけです。

スメラミコトが言わなければ、スメラミコトじゃないヒトが言ったであろうことはほぼ間違いのないことで、これこそが不敬じゃないでしょうか。

まして、資源のない日本において軍備のために輸入超過となれば、とどのつまりドイツのように統制経済を敷き、国民生活に塗炭の苦しみを与えることになるのは自明のことでした。

秋丸機関でも、経済抗戦力として、世界の主要国の抗戦力を経済の観点から詳細に分析しており、ドイツがソ連に対して短期で撃破できなければ崩壊することは経済の面から予測していました。

つまり、独ソ戦が始まったあたりがドイツの経済抗戦力はピークであったわけで、日本がソ連に対して参戦しなかったのも、いざとなったときにアメリカが日本へ占領することを好まないソ連が影響力を行使して講話を持ち出すことを計算していたとも書いている本があります。

そんな話はともかく「私の生い立ち」を読む限り、着るものや髪型に関する記述は、とても想像ができないくらい細やかな表現ですが、ともかく内気でおとなしい感じの女性なのに、いざ、ペンを取るとかくの如くの舌鋒になることが、想像を絶しています。

文学には力がある。

作家は、自分の人生を削ってでも、その文学に力を書き込まなければならないと思うのです。そして、それが読むヒトに知恵と力を与え、ひいては国の文化と力につながっていくのでしょう。

ベートーヴェン(1770年生-1827年死去)やチャイコフスキー(1840年生-1893年死去)らが活躍していた時代から、幾久しいのに、彼らを超える音楽が見当たりません。

日本文学も、樋口一葉や夏目漱石らから幾久しいのに、日本人を日本人たらしめる文学が見当たらないのはどういうことなのでしょうか。

樋口一葉も与謝野晶子も平安文学をかなり学んでいたようです。そうした素養が希薄になっていることの影響も否定できないでしょう。

イニシエといえば、すかさず持ち出されるのが明治に使られた「教育勅語」。「勅語」とされているけれど、これとて本当にスメラミコトが発したのかも今となれば不明です。

こんなことばかり繰り返しているようでは、スメラミコトも退任したがるのはやむを得ないことですね。

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