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対義語

さぼ郎
対になる言葉って、結構たくさんあります。

例えば「生:死」「愛:憎」「老:若」「幸:不幸」「悪:善」「男:女」。

ネットで「対義語」と検索すれば、思いっきり出てきます。しかし、「孤独」には対義語がありません。孤独の反対って、何なんでしょうか?

半藤一利さんの「手紙の中の日本人」という本を、台東区の図書館が放出したのをもらってきて読んでいます。

二十二日にゐんの御所へいらせをはしましさふらん御うしうしかいまゐらせられ候なんやしはしはあの御所にてさふらはんするにて候

なんて手紙が冒頭に出てきます。これは建礼門院(平徳子)の手紙です。ほとんど意味が通じません。わずか千年で、言葉をめぐる教養がこんなに変わってしまっていることに驚きます。

建礼門院は平清盛の娘で、タクラ天皇の中宮となって安徳天皇を生みますが、壇ノ浦の戦いで母と安徳天皇が没し、平家は滅亡するわけです。

平徳子は、その髪の長いのを熊手に引っ掛けられて引き上げられ、京都は大原の寂光院で安徳天皇と平家一門の菩提を弔うことで余生を過ごしたそうです。

その寂光院は、放火されて再建されていますが、とても山深いところにあり、そこへ後白河法皇が訪ねてきているらしいので、寂光院に行った時に、すごいことだと感心したことがあります。

平家物語などという古典文学は、未だ読んだことがないのですが、最後は建礼門院の極楽往生を持って終わるのだそうです。死ぬまでには読みたいと、読まねばと思っています。

寂光院を訪ねた後白河法皇は高倉天皇の父親で、安徳天皇の父親が高倉天皇になります。承久の変で島流しにされた後鳥羽上皇は安徳天皇の兄弟になります。

建礼門院が抱えていた「孤独」はいかばかりのものだったかは不明ですが、時代を変えて江戸時代の小林一茶の手紙が、半藤さんの本に取り上げられています。

一茶60歳のときに愛妻きくが37歳で没しているのだそうです。二人には子供が5人いたのだそうですが、いずれも早逝しています。

そこで半藤さんは、「孤独とは、冷え冷えとしてやりきれない寂しさである」として、一茶の、

小言いふ 相手は壁ぞ 秋の暮

を挙げています。

いま、「引きこもり」が大きな社会問題となっています。引きこもり自体も大きな問題ですが、その引きこもっている子が親に暴力を振るうようなことも、なんともやるせない問題ですが、一朝にして解決がつくことでもないような気がします。

どうしてそのようなことが現象として起きてくるのかなどは、ワタシがどうこういうべきことでもありませんが、解決のつかない問題を抱えるということも、「孤独」であると捉えることができそうです。

つまりは、「孤独」に反対語があるなら、なんとか解決の道も探りようがありそうですが、個の力では回避することはできそうにありません。

「孤独死」という言葉もあります。多くの人に看取られようが、死ぬときは自分だけの世界でしか無いわけですから、究極の孤独の世界が「お陀仏」なのだと思っています。

仏教では「寂滅」などという言葉もあるようですが、読んで字の如くで、「寂しく滅していく」ことを如実に示しています。

つまり孤独死であろうが看取られ死であろうが、寂しく滅していくことには変わりはありません。死ぬのが孤独であるのは仕方がないとして、解決のつけられない問題を抱えて死(殺)を意識している人がいるのであれば、せめて相談に乗れるような(解決にはならなくとも)窓口を行政が対応してくれるようなことを検討してほしいです。

「孤独」には「託(かこ)つ」という動詞が使われます。託つ」とは「 心が満たされず、不平を言う」「他の事のせいにする。口実にする」などと解説されています。

また、託つ」には「無聊」との組み合わせもあるようです。意味は「することがなくて、たいくつな生活を嘆く。不遇な立場におかれた自分を嘆く。

孤独とは違いますが、あまり見たくもない言葉ではあります。

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