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あれこれ

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最近の出来事

さぼ郎
最近の出来事として特記すべきことが起きました。

2018年11月18日にギザ十が2個手元に巡ってきたのです。昭和28年と29年のものです。

いままでに1日に2個というのは無いことだったので、何かとても良いことか、はたまた天変地異がおきるのかだと思いますが、願わくば前者で行きたいところです。

土曜に集まりがあって元号の話が出ました。役所は、いままでは元号だったのですが、次からは西暦になるようです。

元号にはルールが有るようで、
元号は本邦はもとより言うを俟たず、支那、朝鮮、南詔、交趾(ベトナム)等の年号、その帝王、后妃、人臣の諡号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。
元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。
元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。
元号は、称呼上、音階調和を要すべきこと。
元号は、その字面簡単平易なるべきこと。
とのことです。そもそも、改元が新天皇の即位に合わせる事になったのは、明治からのことで、「一世一元」となったようです。戦争に負けたときに「昭和」をやめようという意見もあったようですが、そもそも元号をやめたらどうかという意見も出たりしている最中に朝鮮戦争が始まり、棚上げにされたのだです。

昭和54年に元号法が制定され、そこで、
「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、明治以来の「一世一元の制」が維持された。ここで再び元号の法的根拠が生まれ、現在に至っている
という流れです。そもそもは645年の大化の改新で「大化」が使われたとなっていますが、木簡では元号が使われている形跡はないようです。文武天皇5年(701年)に「大宝」と建元し、以降、継続的に元号が使われるようになったとのこと。

かつては年寄りの尺度として明治生まれとか大正生まれなどが使われましたが、大正15年(昭和元年)で93歳ですから、もう少しすれば昭和生まれが年寄りの代名詞(平成元年生まれが29歳)になることでしょう。

とはいえ、あと40年はかかりそうです。不敬な発言かもしれませんが、元号も次の次になっている可能性は排除できないですね。

そもそも元号が中国で生まれた背景は、皇帝が時を支配することの示威だったというような書物を目にしたことがあります。いま、元号を使っている国は日本だけなので、時の支配は我が、エンペラーのみの専権事項ということになります。

昨日、淺草で小河内さんの朗読会がありました。

会場は「」というお店だったのですが、お店につながって、本当の蔵が使われていました。慶応年間に作られ、関東大震災、東京大空襲をすり抜けてきた蔵を改造してお店にしてあります。

床は1階が黒の漆で2階が赤の漆で、とても洒落ていました。

いままで、彼女の朗読は樋口一葉だったのですが、今回は小泉八雲の「耳なし芳一」でした。よく聞き取れませんしたが、次回は泉鏡花と言っていたような気がします。

芳一が呼ばれていった平家の亡霊は、平家の武将は平宗盛の亡霊で、女官は建礼門院や二位尼などの亡霊だったのでしょう。子供の安徳天皇は、亡霊として在籍していなかった気がします。

今日まで知りませんでしたが、梶原景時と源義経が軍議で争いになり、切り合い寸前になったそうで、それを恨んで、後に頼朝に義経のことを讒言し、兄弟は仲違いをすることとなったとのことです。

幼少の安徳天皇と同じ時期に天皇となった後鳥羽天皇は、オーバーラップしていたことと三種の神器がなかったことがコンプレックスだったとのことで、後に「承久の乱」を起こして鎌倉幕府に立てつき、結果として3上皇島流しになってしまいます。

にもかかわらず、後鳥羽上皇の孫の後嵯峨天皇の時代が来て、その結果、後深草天皇(持明院統)と亀山天皇(大覚寺統)が迭立することとなって、後醍醐天皇が登場することから南北朝になっていくのですから、事実は小説よりも奇ですね。

ところで、泉鏡花といえば「高野聖」でしょうか。ヒルがボタボタ落ちてくるところが印象的で、本当に泉鏡花なら次回が楽しみです。女の妖怪がハンサムな聖の命を助けたわけですから、なにをするにしてもハンサムな方が得ということですね。

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