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右翼と左翼、あるいは、保守とリベラル

さぼ郎
ネトウヨ」という言葉を、結構目にします。そこで、wikiで調べてみたら、結構長い解説なので、詳細には読みませんでした。冒頭に書かれている説明では、
インターネットの電子掲示板上などで、右翼的、国粋主義的、国家主義的、復古主義的な主張をする人たちを意味する
とのことです。

右翼」というわけですから「右翼」ではないようです。では、「右翼」とはなにかというと、大辞林では、
右翼〔フランス革命における国民公会で議長席から見て右側に保守派のジロンド派が座ったことから〕保守的・国粋主義的な思想傾向。また、その立場に立つ人や団体。
左翼〔フランス革命時、国民公会で急進派のジャコバン派が議長席から見て左側に座ったことから〕急進的・革命的な政治勢力や人物。ことに、社会主義的または共産主義的傾向の人や団体
というような説明だそうで、ま、イメージ的にわかりやすい説明です。で、この説明だと「右翼=保守」と言ってもいい感じです。

しかし、中島岳志さんの説明によれば、「右翼」は復古主義で、復古とはある一点の過去に戻りさえすればユートピア社会に回帰できるという考えになるようで、まさに明治維新のおりに太政官制を復活させようとしたことなどが該当しますが、それはあくまで「復古主義」であって、当時の認識からして「右翼」ではなかった。

保守」からすれば、過去の人間も不完全な存在で、過去にも問題があったと考えざるを得ないとなるようです。保守にとっての過去は分厚い歴史のようなもので、特定の一点への回帰ではないから、これが日本の右翼思想と保守との大きな違いです。

といわれても、あまりに微妙な違いなので、「保守」と「右翼」の違いは、明確ではない感じがします。

リベラル」というと「革新」を意味するようです。
本来は個人の自由を重んじる思想全般の意だが、主に1980年代の米国レーガン政権以降は、保守主義の立場から、逆に個人の財産権などを軽視して福祉を過度に重視する考えとして、革新派を批判的にいう場合が多い。
とあって、保守主義の立場から福祉を過度に重視する考えとして自由主義を批判的に捉える用語として「リベラル」があるようです。

とすると、「保守」と「リベラル」は、対をなすほどに対立している概念でもなさそうです。

ちがう論点として、「リベラル」を「左翼」として、人間は理性の動物で理性に合致した社会を作ることが理想社会になるという考え方を前提にすると、対する「保守」を「右翼」として、理性を超えた慣習や良識にこそ、歴史のふるいにかけられた重要な英知があるという考え方があるわけです。

ここまで調べたことだけで、「右翼」と「左翼」を語るならば、
人間は理性的であろうとする動物である。
しかし、常に理性的であるとは限らない。
人間社会には歴史があって、その時代時代にいい制度もあっただろうし、悪い制度もあった。為政者だって同じこと。
そうした歴史の中から、普遍的と思える制度や慣習を良識として現代に活かしながら、それでも人間の理性を尊重しようとすれば、「右翼」も「左翼」も対立すべき関係にはならない。
と、思います。

しかし、「保守」と「革新」となると、これは対立すると言うか、離反する関係というか、相容れない関係でしかありません。

しかし、英和辞典で「革新」を調べると「reform」「innovation」だそうで「liberal」は出てきません。やっぱり、「リベラル」は「革新」ではないように思います。

保守」と「リベラル」で対比すると、「保守」は「因習を守ろうとする立場」で、「リベラル」は「因習にとらわれない立場」となりますから、対立軸が明確になります。

実態は全く知らないのですが、言葉からするイメージでいうなら、「国体護持」とか「イスラム原理主義」は因習を守ることに人民の幸福があるとするなら、一部の真理があるような気もします。

同時に、そのことは、多様性を認めないこととなり、自己と他を隔てる感が方になってしまいます。

右翼」と「左翼」を「人間の理性」で考えれば、融合できそうな気がしますが、「保守」と「リベラル」では、永遠に対立は解かれることがなさそうです。

昔考えたことなのですが、なにもない見渡す限りの平地の真ん中にポツンと置かれて、「さぁ、お前は自由だ。何をしてもいいのだ」と言われて喜ぶ人は一握りで、開拓できる人でしかありません。

多くは、封建社会のように、自由を大幅に成約される中で、制限のある意識空間の中で自分を満喫するような社会のほうが、安心して自己を発揮できることは少なくないと思います。

つまり、職人の家に生まれたら、その職をどうやって卓越しようか、それだけを考えるような生き方。「ほとんどなんにもなれないのに何でもなれる」というような夢を見ることが自己の解放につながるのかというと、どうなのかは本当に不明です。

自由主義に蔓延する「虚無」は、このあたりにも原因がありそうです。

しかし、そのことは強制されたくもないし、また、得てしてそうした体制を強制する権力者だけは、いい思い(子孫を残すためとしてハレムを作り、うまいもの食べ、いい服を着る)をしているのが、ほぼ常なわけです。

映画で見る戦中では「畏れ多くも」と誰かが言うと、みんなで起立するような社会は、そこにどのような叡智があろうとも、それを因習として守れらなければならないのはゴメンです。

自由」がいいといったところで、生活が破綻してしまえばおしまいです。結局はバランスでしか無い。そのバランスには権力者の叡智が不可欠で、多くの国民が「それなりにいい」という政策を多く実行してくれさえすれば、政治などに関心を保つ必要もないわけです。

で、今の日本の政治を概観してみると、自民党は「保守」ですが、野党は「革新」とは言い切れない感じです。当然、「リベラル」なのかというと、批判的な意味における「リベラル」ではあるかもしれませんが、おそらく「反保守」「反自民」が共通の立場じゃないでしょうか。

これでは大同団結はきっと無理ですね。つまり、国民のためを思う政治をしようなどという視点はなく、戦術的に反自民、反官僚で存在価値を示すパフォーマンスに過ぎません。政権を取るためには「戦略」が不可欠です。

つまり、権力を軸に争っているのかもしれませんが、国民利益のために争っているわけでもなく、国家のあり方のために争っている形はとっていますが、国家の運営は、実質的には「官邸官僚」の思うままに動いているのであって、与党の政治家でも、官邸官僚」からすれば、ほぼ「傀儡」「木偶」のようなものじゃないでしょうか

少なくとも、甘利明さんが大臣室でお金を受け取ったことを調査して公表するとしたのなら、そうすべきだし、そのような約束を守りもしない人が自由民主党行政改革推進本部長であることはおかしいと思います。

安倍総理にしても森友問題をはっきりさせるなら、谷査恵子さんをイタリアから呼び戻して証言させれば、ぐっとスッキリするはずですし、内閣府のグレーな官僚を佐藤優さんのように逮捕拘禁して取り調べれば、かなり真相が解明できると思います。

そうしたことを積極的に行う宰相であるなら「保守」だろうが「革新」だろうが、「右翼」だろうが「左翼」だろうが、そのことに興味も関心も持ちません。多少愚鈍でもいいけど、清廉じゃない人が権力を持つことこそ、理性ある社会が選択してはいけないことだと思います。

そうじゃない人が、宰相を三期もしたがり、それを支援する政党には、いささか抵抗を感じてしまうのは、決してワタシが左翼でもリベラルでもなく、一介の国民としての「理性」で感じることです。

ネトウヨに関しては、中島岳志さんの言葉を借りれば、
左翼が言っていることが気に入らないという「反左翼」という意識だけではないか。
とのことで、ワタシにはいままでもこれからも付き合いはないので、実態は不明です。というか、そもそも「ネトウヨ」という言葉にすら馴染みも興味もありません。

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