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あれこれ

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再、再ギザ十 ゲット!

さぼ郎
再び、またも、再びギザ十をゲットしました。今度は昭和28年ものです。ギザ十は昭和26年から製造されていて、昭和33年でおしまいになっています。

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すり減っているギザ。

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手ブレしている、スカイツリーに乗っかりそうな月。

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ということで、柏の「十余二」です。これ、「とよふた」と読むのだそうです。

千葉県の西北に猫の尾っぽのように伸びる先っぽは「関宿」という街で、江戸時代は譜代である久世氏のお城がありました。

利根川と江戸川の分岐があって、物資が銚子から関宿を通って江戸の街に運ばれたわけで、通行料が結構な収入になったようですが、いまは、利根川の水運は殆どないようです。

ここから南東に少し下がるとつくばエクスプレスが通っています。一番、利根川よりの駅が「柏たなか」といいます。エクスプレスを通すときに地主の名前が「田中」だったんだろうと思ったのですが、旧村名だそうです。

なぜ、そんなことに興味を持ったのかというと、知己に頼まれた仕事の仕上げが、この「十余二」だったことと、近くにあった公園の桜があまりにみごとな枝ぶりだったので、おそらく、歴史があるのではないかと思った次第です。

wikiによると、小金牧の一部であったが明治2年に政府が東京府に命じて開墾させて十余二村ができたのだそうです。

地名の由来が結構、面白いです。

小金牧に東京府下から移民が入植・開墾した場所が、下総台地に13カ所あり、十余二以外の入植地は初富(鎌ケ谷市)、二和、三咲(以上船橋市)、豊四季(柏市)、五香、六実(以上松戸市)、七栄 (富里市)、八街(八街市)、九美上(香取市)、十倉(富里市)、十余一(白井市)、十余二、十余三(成田市・多古町)の順に続くとのことです。

要するに、この一体は小金牧といって、幕府の直轄領だったわけで、幕府の軍馬育成の牧場だったようです。
『延喜式』にも牧の記述がある。諸国牧参照。鹿島神宮・香取神宮との歴史的地理的関係ともあわせ、起源は「蝦夷」征伐時の前線への軍馬の供給にさかのぼると推定される。
文武天皇の時代からとの伝承があるようです。文武天皇と言えば、草壁皇子の息子で、母が元明天皇ですが、この母の姉が持統天皇ということになります。

持統、元明両天皇は、天智天皇の娘で、持統は天武の后になります。さらに妹(のちの元明天皇)が草壁皇子の后になったこともあって、彼女らは天智天皇の系から天皇にしたかったため、早逝した草壁皇子の子の軽王をどうしても天皇にしたかったわけです。

天武天皇にも多くの皇子がいたのですが、そのため天智天皇の皇子をさしおいて、草壁皇子の息子の軽皇子をむりやり東宮にして、持統がみずから天皇になったという流れがありました。

文武の息子の聖武天皇の妃である光明皇后は藤原不比等の娘であり、皇族以外から立后する先例を作ったのだそうです。

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11月24日まで正倉院展を上野の国立博物館でやっています。令和天皇の即位を記念しての特別展だそうです。
756年(天平勝宝8歳)6月21日、光明皇太后は夫である聖武太上天皇の七七忌に際して、天皇遺愛の品約650点、及び60種の薬物を東大寺の廬舎那仏(大仏)に奉献したのが始まりである。
とか。

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