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あれこれ

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八ッ場ダムと利根川

さぼ郎
台風19号が去って、八ッ場ダムの記事がありました。

「八ッ場ダム」が一躍有名になったのは、なんと言っても旧民主党の前原さんのおかげですね。

どういう経緯があったのかは知りませんし、知ろうとも思いませんが、今回の19号台風で、試験運転中の八ッ場ダムが1日で満水になってしまったとかで、このダムがなければ利根川が氾濫していたなんて上毛新聞の記事がありました。

これとて、建設省とか自民党が旧民主党の愚かさをあげつらうためのバイアスをかけているのかもしれず、どうとも感じるところではありませんけど、八ッ場ダムと利根川の関係を調べてみようと思いました。

利根川というと、どうしても千葉県を想起し、地名では「銚子」とつながってしまいます。

実際のところをグーグルマップでたどってみました。

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水源地には「碑」があるようですが、行くのもはばかるような山奥です。

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緯度は会津の駒ケ岳と同じくらいのところです。

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ここまで目を引くと、色々見えてきます。尾瀬の北側で、山一つ超えると南魚沼になります。やっと南の端に八ッ場ダムが見えてきます。

八ッ場ダムの緯度は、だいたい赤城山や日光と同じくらいに位置しています。

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これぐらい目を引くと銚子が見えてきますが水源地の表示は見えなくなります。

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八ッ場ダムは前橋の北西にあるので、この台風に機能していなければ八ッ場ダムに集まる水は利根川に合流後、もしかしたら渋川・前橋あたりを水没させたのかもしれませんし、そうはならなかったのかもしれません。

早速、前原さんの当時の記録を持ち出して、「さあ、どうだ民主党!」のような書き込みも散見されますが、事実は自分の目で見たことだけだと思います。

戦争映画のリアリティの無さも同様で、いくらジャニーズのお兄さんたちを使ったところで、格好の良いものは作れても、戦争がかたる無意味性を伝えることはできません。

歴史認識とかで、韓国とずっと揉めていますが、歴史は書き換えることができないので、それを言い続けるのは生産的ではありません。また、過去の話と鳴ると、自分の眼で確かめることもできません。

自分の目で確かめたことといえば、売春防止法が1956年(昭和31年)に制定され、1957年(昭和32年)に施行されましたが、1年間の猶予期間を設け、刑事処分は翌1958年(昭和33年)からの適用になったそうです。

つまり、赤線は昭和33年から姿を消したわけです。

今は亡き先輩である建築家のブンちゃんが「行ってみよう」というので、吉原に見物に行ったのが1970年(昭和45年)だったと思います。

その頃の吉原は、通りの左右共に木造の2階屋(いわゆる遊郭づくり)でした。

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いまではソープランド街であり、それも廃れつつあるようですが、それが木造の遊郭建築で、ある種、壮観でした。

何が言いたいかというと、歴史の事実は自分が目で見たことのみが事実だということです。実際に目にした記憶は消しようがなく、机上の論とは一線を画すものと思います。

同様に戦前の話は、ワタシにとっては飛鳥天平時代のことと基本的には全く同じことでしかありません。

従軍慰安婦や徴用工の問題を、当事者ではない人たちがいくら声を上げてもリアリティに欠けてしまいます。いくら机上で学んでも、歴史認識にはイデオロギーがつきものであるので、必要以上の騒ぎ立ては虚しさを感じてしまいます。

もちろん、当事者の認識は別物ですが、時代の中の犠牲は、それがいくら理不尽であっても起きてしまうことは回避できないことでもあるわけで、それをいくらいいたてても、どうにかなることと、どうにもならないことがあるわけです。

つまり、当事者以外は司法か政治に委ねる以外に方法はなく、第三者が加担下からと言って解決がつくわけではないと思います。

解決を目指さない争いにポピュリズムを使って政治を動かすことは、最も低劣な国家の有り様だと思いますが、そのようなポピュリズムが世界的傾向にあるようなのは、その原因としてグローバリズムと格差の拡大を上げることが出来ると思います。

揺り戻しが大きくなる前に、グローバリズムと格差拡大に歯止めをいかける必要がありそうな気がします。そうした政治を期待したいとこですね。

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