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あれこれ

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必然と偶然

あるいは宿命と運命

さぼ郎
必然と偶然という言葉はよく使われます。

町で、めったに合わないヒトや、昔の顔馴染み出逢えば「偶然」と思います。傾向として失敗の背景には「必然」があって、逆に成功の背景に「偶然」があるように思うこともあるでしょう。

人と人の出会いは「偶然」のような気もしますが、その結果として大恋愛になれば、それは「必然」であると感じます。

宇宙が140億年前に誕生したのは必然でしょうか?それとも偶然でしょうか?その質問には宇宙が誕生したことが前提となっており、誕生する前はどうであったかについては、あまり議論されませんけど。

宇宙が誕生する前を議論することにはあまり意味がありません。なぜなら、誰にもわからないことだし、誕生した事自体、逆算していくと「そんなんだろうかな~」程度のことで、ビッグバンのそのまた何兆分の1秒の間に起きたことがこんなで、あんなでと言われても、考えることにほとんど意味をなしません。

だから、宇宙ができたことは「偶然」とも言えるでしょうし、とはいえ同時に「必然」とも言えそうです。

なにが偶然と必然の分かれ道かと言うと、それは単に認識の問題でしか無いからです。

似た言葉に「運命」と「宿命」という言葉があります。ベートーヴェンは「運命」という交響曲を作ってはいますが「宿命」は作っていません。というか、そもそも、ベートヴェンは「運命」と命名しているわけでもなさそうです。

「運命」というと、冒頭であげた「偶然」という力が作用してくれそうな気配を感じます。翻って「宿命」と言われると、「必然」を感じてしまいます。

語義を問えば、「命」が運に作用されるのか、そもそも、「命」に宿っているのかになるわけで、癌にかかるのも運命ではなく宿命になるわけです。

そんなことを考えていても、何も解決しませんが、言葉の難しさを感じるのにはちょうどよい感じがします。病気は宿命だけれど、事故は運命。そんなことをもっとしつこく掘り下げることもできますが、ちょっと視点を変えてみましょう。

ニュートン力学という考え方があります。子供の頃から習ってきた力学はニュートン力学です。りんごが木から落ちるのもニュートン力学です。

一般的に力学はニュートン力学でほぼ説明できてしまいます。しかし、アインシュタインが登場してきて相対性理論が登場し、挙げ句に量子力学が登場してくると、光子がそこにいるのは確率になってきます。

世界は量子的には多重化されていて、確率的に決定されているのだと説明されるようになりました。それを如実に物語るのが「シュレーディンガーの猫」になります。

つまりは、確率が半々の箱の中にネコを入れる。それを多重世界として重ね合わせると生きている猫と死んでいる猫を重ね合わせることになるという矛盾を簡明に表現しています。

しかし、現実に量子はトンネルをくぐる現象(性質?)があって、それを利用しているのが量子コンピュータなんだそうです。違う説明では光が波動であり粒子である。観察したとき波動であったなら、それは粒子ではなく、粒子であったならそれは波動ではない。

しかし、光は常に波動であり粒子であるわけです。

事実がある。その事実を説明するためには、「神がサイコロをふる」ことを根拠にしなくてはならないわけで、ニュートン力学と共通するのは結果だけになります。

コレを冒頭に戻すと、運命あるいは偶然は「量子」で説明すべきであり、宿命あるいは必然はニュートン力学で説明すべきことであって、事実あるいは結果は全く同じということになります。

このことは単に認識の問題ではなく、結果を導き出している原理への理解の問題とも言えそうです。

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