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国立博物館で伎楽面を観る

さぼ郎
法隆寺
国立博物館にリンク ↑
法隆寺宝物館は、1878(明治11)年に奈良・法隆寺から皇室に献納され、戦後、国に移管された宝物300件あまりを収蔵・展示する建物です。
法隆寺から皇室に渡ったのは、当時のお金で1万円になったからのようで、お金が欲しかったというのも有ると思いますが、明治早々の廃仏毀釈で荒廃していたため宝物の流出の懸念もあって、一番安全な場所ということで皇室に渡したのでしょう。

推古天皇の時代のものですから正倉院より100年以上前の宝物になります。法隆寺は600年早々の建立ですが、600年代半ばで燃えて再建されているようです。が、心柱は594年の伐採の木を使用しているとかで、創建当時のものを使用したらしいです。

伎楽は推古天皇20年(612年)、推古天皇の時代に百済人味摩之(みまし)によって中国南部の呉から伝えられたといいますが、欽明天皇(在位 540年~572年)の項において伎楽調度が献上されていると日本書紀に書かれているそうです。

法隆寺に伝わる伎楽面は推古天皇の頃のものと思われますが、掘りかけの面も2面あって、中国から職人を連れてきたのか、完成品を観ながら日本の職人が掘りかけたのかは不明ですが、かえって未完成なだけになぜ、未完成品を皇室に献上したのか想像をたくましくしてしまいます。

宝物

宝物館に入ると、このように金銅製の仏像が陳列されています。ことごとくが重要文化財です。おそらく聖徳太子のコレクションなのでしょうね。

この帳面奥に陳列されているのが伎楽面です。

伎楽面

一番奥の2つを除いて全てが需要文化財です。木彫りの面は年に3回しか開帳がなく、3月14日から4月9日までと、8月1日から8月27日までと、10月27日、28日に見ることができます。

神楽面

伎楽面

能面を彫っているヒトと一緒に国立博物館へ行ったのですが、その方の見立ててで、能面と共通する特徴があるそうなのです。

よく見ると向かって右側の頬が若干高く、口は左のほうが上がっているのだそうです。これは、ここに展示されている伎楽面に共通していることでもあり、能面にも共通しているのだそうで、たまたまのことではなさそうです。

伎楽面

左から見たほうが右側より愉快に笑っているように見えませんか?

概ね、飛鳥時代の面はクスノキ、奈良時代はキリが使われているようです。

景観

宝物館から外を眺めると、池田藩の門が見えます。

桜

その門の手前の桜が咲いてました。

ゆりのき

この巨木は、「ゆりのき」。
明治8、9年頃渡来した30粒の種から育った一本の苗木から明治14年に現在地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見守り続けている。東京国立博物館は「ユリノキの博物館」「ユリノキの館」などといわれる。
とのことです。

鬼瓦

博物館の鬼瓦。

桜

博物館裏手のお庭の桜。

国立博物館

博物館正面の入口。

コンドル
コンドル設計時点の博物館 ↑

明治12年にジョサイア・コンドルに設計してもらって作りましたが、関東大震災で壊れ、昭和6(1931)年4月に設計案の公募が締切られ、273点の応募作のなかから渡辺仁の案が採用された。渡辺案をもとに宮内省臨時帝室博物館営繕課で実施設計を行い、1932年12月に着工、1937年11月に竣工、1938年11月に開館したそうです。

このとき、宮内省臨時帝室博物館営繕課で、この設計に関わったヒトが友人のおじいさんでした。このおじいさんは、後に有名になった原爆ドームの設計にも関わったとか。学生時代に1回遊びに行ったことがあります。

「能」は、明治になってからのことで、その前は「猿楽」と言われていたそうです。古代の日本に、遠くアジアの西域からシルクロードを経て伝来した、散楽という芸能にさかのぼるらしいのですが、平安時代に猿楽が確立してくるようです。

猿楽が大きな発展を遂げたのは、南北朝から室町時代といいますから、太平記の頃に開花したようです。NHK大河の太平記では北条高時が猿楽を好んでいました。

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