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パラダイムを考える

さぼ郎
井深大
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パラダイムというのは決して真理でもなければ、永久にそれが続くわけではない。
モノを中心とした科学が万能になっているわけですね。
我々は現代の科学とういうもののパラダイムをぶち壊さなきゃほんとじゃない。
モノと心と、あるいは人間と心というのは表裏一体である、というのが自然の姿だと思うんですよね。
人間の心を満足させる、そういうことではじめて科学の科学たる所以がある
大衆の人全部が全然信じて疑わないこと、これがパラダイム
井深 大

携帯電話は、完全にスマートフォンにシフトしました。その事によって、様々なITによるコミュニケーションに変化が生じています。

スマートフォン

たまたま、使いやすかった だけのことではなく、スマートフォンと所有者たる自分との間に「感性」がマッチしたことが、浸透の速度に現れていると思います。これは、パラダイムが変化しました。

iPS細胞などより、庶民にとっての福音とするなら、よっぽどノーベル賞的な発明のような気がします。ノーベル賞は高尚すぎて、枯れかかった年寄りの受賞が目立つことや、学術すぎる傾向があるように感じます。人類にとっても福音からは乖離しているように感じます。

また、以前より疑問に思っている文学賞では、「性的暴行疑惑」だなんておどろおどろしい文字も踊っています。いっそ、文学にノーベル賞なんて似合わないのだから辞めてしまえばいいのにと思うのはワタシだけなんでしょうか。

だって、文学に民族や言語やその國の歴史が不可欠なのに、どこをどのように評価するんでしょうか? 文学に賞を与えるという発想に、考えの貧しさを感じてしまいます。その権威性が性的暴行疑惑」につながっているような気もします。構図は、財務省のセクハラ疑惑に通じていると思います。

文学

コンピュータでは、ちょっと前までは「ビッグデータ」が叫ばれていましたが、いまは、「AI」「機械学習」「人工知能」を眼にしない日がありません。

だからといって、これはパラダイムではありません。なぜなら、機械学習以前になにも支配的なものの考えなど無いからです。こちらは、有り体に言うなら「イノベーション」ですね。

コンピュータはそろばんよりも早く計算ができるようになったとか、データを探すのが早いというくらいのもので、コンピュータそのものに人間を支配するような認識の枠組みがあるようには思えません。たんに便利になったぐらい。

つまりは、デジタルとアナログの違いくらいのもので、ようは道具が変わったくらいでしか無いわけです。

しかし、スマートフォンは、老若男女が、暇さえあればいじりまくっているようなくらいの浸透で、コミュニケーションのあり方が変わっているので、確実にパラダイムが変わったと言えます。

パラダイムが変わるためには、まず「浸透」することが必要だし、「信奉」されることも必要な気がします。ようするに、まず「アタリマエ」があって、そのアタリマエが崩れ去ることにパラダイムシフトがあるわけです。

その意味では明治になったことが「維新」だったのではなく、「国家神道」によって、国民を支配的に管理できるようにしたことなども、パラダイムシフトと言えそうな気がします。仏様より神様がありがたくて、その神様も現人神がありがたくて、かつ、そのことは宗教ではなく「教義」なわけですから。

神道

そうして考えると、大きなパラダイムシフトは、北条義時・泰時親子による後鳥羽上皇の島流しなども日本史上では大きな変化だったでしょうし、その後でいうと、やはり後醍醐天皇の南北朝時代なんかも、パラダイムシフトのような気がしますが、その当時の庶民にとっては、どうだったのでしょうか。

残念ながら歴史に庶民は登場しませんね。

徐々に変わるのが生物でいうと「進化」なのでしょうけれど、徐々に変わるためには「突然変異」が不可欠なわけですが、それは、その個体においてのみの話でしか無いわけです。」なども、変異という意味では生体にとっては大きな変化です。

しかし、生物の進化において「人間」が誕生したことは、地球にとってパラダイムが変わる出来事となってしまいました。

テレビの誕生は情報伝達においてパラダイムのシフトだと思いますが、そこからカラーテレビになったり、ブラウン管から液晶や有機ELになることは、技術革新かも知れませんがパラダイムはシフトしていないと思います。

白黒テレビ

憲法改正などは、何を変えるか以前に、憲法改正その事自体がパラダイムのシフトのような気もします。

ただ、何が変わるのかというと、憲法典が変わること以外に、国民の国家に対する考えが変わったり、主権者たる国民的利益につながるような変化は望めないようにも思うし、今の内閣府の主導では、ちょっとなんだかな~という気持ちも少なからずあります。

強行採決で決めた「特定秘密保護法」というのがあります。着実に特定秘密が増えているそうです。で、なにが秘密なのかのチェックができないと官僚のやりたい放題になるわけで、その監視機能が国会にあります。

制度上の監視はあるのですが、事実上は監視などで来ていません。つまり、自民党の議員が結束して強行採決するものの、その自民党議員(大物と言われる単なる古参議員であっても)ですら監視ができていないらしいです。

挙げ句に憲法90条で会計検査院の権限を保証しているにもかかわらず、特定秘密に関しては会計検査院に提示しなくてもいいような、曖昧なルールにして内閣官房ではぼかしているのだそうです。

政治家のレベルが低下の一途をたどっているうちに戦前同様に、官僚が好き勝手放題を始めだしていますが、今の政治の実力では止めようもないのが現実のようです。

そんな現状において、まず、憲法改正は絶対にやめるべきだと思います。自民党の改正案がどうのこうのと言っていますが、その影に隠れて、「官僚たちの悪だくみ」がそっと忍ばされることは必至です。

悪だくみ
こんな悪だくみも過去の話になった、、、。

憲法改正など、政治のレベルがもっともっと上がってからのことにすることが、国民利益に繋がることは確実です。逆を言えば、今の政治のレベルで憲法改正などしたら、結果は国民利益にとって最悪なことになるでしょう。

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