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あれこれ

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五・五合目の海

さぼ郎
昨日、2018年9月15日、池袋のシアターグリーンでお芝居を観て来ました。
まず、若人たちが真剣に取り組んでいる姿を見ることは、とても楽しいことだと、いつもながらの感想です。

ストーリーは、
現代(2018年)に希望が持てない5人の若者がシェルターに入り、150年後に蘇生するという話から始まります。

150年後、目覚めてみたら、世界は富士山の5.5合目から下は海になっていた。その理由は、核戦争が起き、地表が汚染され、その地表を洗浄するために水没させるという判断を権力者が行うわけです。

ところが、地表で放射能を浴びた一団がいて、ある種の変異を受けていて、それを地下で生き抜いてきた「人間」が奴隷化していました。

そこに「人間」としていきなり150年後に社会に投げ込まれた若者が、相互の理解と和解に役割をするという筋立てです。

考える視点としては、
■権力者は必ず腐敗する という主張
それは、征服する側も、される側も同じことになる
■何かの価値観から優と劣を決めると支配と被支配の原因となる
■権力者層を取り除くと意外と対立の構造も消失する

と、こんなことを作者は訴えようとしているのかなと思いました。

現下の安倍政権は、まだ、政権の座にい続けたいようです。かつて民主党を選んだことから比べれば、それ自体は特段悪い選択ではないわけですが、
■権力者は必ず腐敗する
■官僚は己を「優」と自認しているから政治家含め彼らが
 支配していることを自認している
■官僚は「劣」なる政治家・権力者に餌として「忖度」をする
■徒党を組むと、徒党に属さないと必ず排他する
排他とは「いじめ」のことであり、パワハラでもある

と、現下の政治などにも例えることができそうです。

話は異なりますが、ワタシの稚拙な人生で出会った人たちを思い出してみると、とっても優秀な人は、その優秀さがわからないくらいに言葉が少なかったです。逆に、知能指数が測定不能(動作性でIQ60以下)と判定されても、とうとうと理屈をまくしたてている人もいました。

つまり、頭の良いし悪しと、言葉の巧みさには、真実の相関は少ないというのが経験則です。テレビに出てアナウンサーやら評論家をするような人たちは、人前で自分の意見や考えを述べようとしている時点で、辞任するほどには明晰な頭脳ではないのかもしれません。

そこから類推すると、政治家になろうと志す時点で、実は、世の中が真に求めている人物ではないのかもしれません。

安倍総理だって、森友問題や加計問題で、「安倍」という権力があればこそ起きた問題であるにもかかわらず、直接的なお金の流れがなかったからといって、公文書化改ざんしてまで「忖度」しようとした不浄を一掃することもなく権力の座に居座り続けるなんて、一般的庶民の感覚からすれば理解を超えています。

しかし、当人からすれば、そんなことはなんらの禍根になっていないようで、実は、人生において、悩んだり後悔したりすることは馬鹿らしいことなのかもしれません。

中国では、こうした事態が積み重なる都度に王政が転覆してきたわけで、君主とは天が与えるもので、天を裏切れば必滅するのが条理だそうです。片や日本の天皇は、「万世一系(万世一族?)」である根拠は神の末裔だからだとされています。

1945年に戦争に負けて(というか開戦時から勝つという公算はなく、アメリカと講和できるタイミングを見るはずだった)、国家神道は廃止され帝国憲法も新憲法に変わり、天皇自らが人間であることを宣言し

朕と国民との紐帯は『天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

この部分をマスコミが勝手に「人間宣言」と称しているようですが、天皇自身は、どこにもそのような言葉は使っていませんが。

ようするに、アメリカだろうが中国だろうが、軍事力が勝っていようが、経済力が勝っていようが、誰も支配などしてはいけないわけで、末端の国民同士は工夫が出さえすれば、もっと緊密な関係を持てるかもしれません。

あるいは持てないのかもしれません。なぜなら、権力者を排除すれば、きっと新たな権力者が誕生する程度に、人間は愚かな存在であるような気もします。

しかし、「優劣」は、人間に価値観がある以上、必然であるわけで、賢愚、美醜、貧富。足の早い遅い、背が高い低い、声が良い悪い と、さまざまな優劣があることを否定することなどできるはずもありません。

もっといえば勝ち負けがあればこそ、文明を開花できたわけですが、そのことが貧富を生んでもいます。

芝居への意見としては、
「人間」と「被支配層」の若者とが何かをきっかけとして恋をし、その二人の恋を成就させようとすることで人間と被支配層が融和していくという恋物語にして、恋を語るシーンの二人のデュエット(デュエットはあったのだけれど、もっと印象的なメロディでハモればよかったなと思いました)で盛り上げれば、記憶に鮮明に残る仕上げになったように思います。月並みだけれど。

日本の芝居で一番かけるのは「リズム」と「前向きな明るさ」だと思います。歌と踊りをうまく入れれば、エンターテイメント性が上がると思います。

とはいえ、雨の中、当日券を買い求める人が列をなしていたのが印象的でした。

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