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メメント・モリ

さぼ郎
図書館に行きましたら「メメント・モリ」という写真集があったので借りてきました。

メメント・モリ」とは「ラテン語で『自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるなという意味の警句。死を記憶せよ死を想えなどと訳されている」とのこと。
古代ローマでは、「将軍が凱旋のパレードを行なった際に使われた」と伝えられる。将軍の後ろに立つ使用人は、「将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない」ということを思い起こさせる役目を担当していた。そこで、使用人は「メメント・モリ」と言うことによって、それを思い起こさせていた。
ということでもあったようです。日本の宰相やアメリカの大統領にも教えてあげたい言葉ですね。

しかし、時代の中で、「いずれ死んじゃうんだから、今を楽しもう!」という方向に転換してくるようです。
キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ・贅沢・手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘引となった。
民衆が、来世に思いを馳せて、現世を耐え忍び善行に励むという考えは、むしろ権力者にとっては都合がいいようでありますが、悪政に耐えられなくなると、死を恐れずに権力に立ち向かうことにもなります。

メキシコの国境に壁を作りたいアメリカ大統領の気持ちもわからなくはありませんが、いかなる危険も顧みずにその国境を目指す人々にとっては、自国には救済がなく、弾圧を恐れずにアメリカを目指しているわけで、移動している人々よりも、そうさせている体制に罪深いものがあるような気がします。

メメント・モリ」の本の話に戻ると、いまから40年くらい前に受けた何かの講習会で「インドでは犬に食われる自由もある」というようなコピーと、犬に食われている路上の死体の写真を使った話があって、すごい衝撃を受けた記憶がありました。

その写真と同じなのか違うのかはわかりませんが、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」というコピーに、犬に食われている写真が掲載されていました。

インドでは犬に食われる自由もある」のほうが、言葉のインパクトは強い気がします。同じ作家の写真、文章なのか、はたまた、たまたまの偶然なのかはわかりません。

メメント・モリ」の本は、全体の文章が独りよがりで、雑駁な感じがしました。本人は哲学を語っているようでもあるのですが、それはあくまでも自分だけの哲学であって、読むヒトへの啓示にはなっていないような気がします。

しかし、40年前の衝撃を思い出させてくれたことには感謝です。

まれにみる異常な殺人運転」と懲役18年求刑

殺意があって、直接的にぶつけて相手を死に至らしめて「まれに見る異常な殺人運転」として求刑が18年です。

その前に東名高速でのあおり運転で夫婦が事故に巻き込まれた事件では求刑が23年で判決が18年でした。

堺の事件では「殺意」があったものとして求刑が18年です。おそらく殺意が認定されると判決は15年あたりでしょうか。

片方は高速道路の路上に無理やり車を止めて、それが間接的な原因となり後ろから来たトラックに追突され、そのことが直接的な原因となって夫婦が死亡しています。

もう片方はオートバイを執拗に追跡しクラクションを鳴らし幅寄せをして、最後には直接的に追突して死に至らしめていて求刑が18年です。

これは明らかに量刑に矛盾があるように思います。

殺意があるとして求刑18年の妥当性と、高速道路追い越し車線に強制的に車を止めて事故を誘発させて求刑23年判決18年には、明らかな量刑の格差があります。

東名高速のケースには「明らかな殺意」は無いわけです。

何がいいたいかと言うと、道交法のような通常の知性があり、まともに社会生活をして納税できる人間が酒を飲んで車を運転したり、速度違反をして危険運転をしたりするケースでは、厳罰を科すことで大いに抑止力となることは危険運転致死傷罪によって道交法違反が激減していることからもわかることです。

翻って、無期懲役があろうと死刑があろうと犯す凶悪な犯罪に対しては厳罰がどの程度の抑止力になるのかは不明です。

「あおり運転」は危険なだけでなく、あおられたヒトの気持ちを考えると最大限抑止するべきだと思います。つまり、この手の犯罪は厳罰にすることでかなりの抑止効果が得られる範疇の犯罪行為だと考えられます。

「あおり運転防止法」のような法を制定して、間接的であれ死亡事故の起因となった場合の最大刑を無期懲役とするような法を制定することで、かなりの抑止効果が見込めるはずです。

現状の法解釈による適用には限界があることは、堺と東名の事例でみてもあきらかであり、仮に事故にならなくても抑止するべき事案であることは間違いのないところだと思います。

しかし、あおり運転のような悪質な事案が人間の性質が悪質になっていることが懸念されます。社会の何が原因となって、人間の行いが悪質になっていくのでしょうか。

原因があるから、結果となっていることは間違いのないところです。

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