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マツコが元SMAP3人ボロクソ

さぼ郎
TOKYO MXで稲垣吾郎のパートナーとしてマツコの名前が上がったときにマツコサイドが断っていたとのこと。その理由として番組のカラー云々があるようだけれど、マツコの真意は、
「だってテレビ局は使いたくないんだもん。SMAPだから使われていたわけで、SMAPじゃなくなった3人に魅力を感じますか」「あの3人はSMAPにいたからこそチヤホヤされていたんだから」「あの3人は木村拓哉や中居正広とはマンパワーが違うのよ」とバッサリ斬って捨てた
とのこと。

これには真実がある。

本来、スターとは、瓦礫の中にキラリと光る宝石であるべきで、歌がうまい、演技がうまい、容姿が特に優れているなど他にはありえない類まれなる才能を武器に大衆を魅了するべく世に出てくるのが本筋だったはずです。

それ瓦礫のなかのちょっと形の良さげな瓦礫を磨くなり削るなりして形を整え、子供のうちから、厳密な意味の「芸能」の世界ではなく、芸能界といういびつで歪んだ世界で培養し処世を学ばせ、メディアでの寡占状態を作って連日、暴露しているうちに「スター」が誕生してしまうという錬金術を生み出したのが、過日、亡くなったジャニーさんで、そのシステムを強烈に先鋭化したのがジャニーズという事務所なわけです。

吉本も同様で、芸人志願の人たちをたくさん集め、受けそうな芸人もどきを有名芸人がMCとして仕切る番組に使い続けるうちに、彼らが獲得するのは事務所が作った「有名人」という虚像でなのである。

とくに吉本で有名になった漫才師で、今でも漫才をやっている漫才師は数少なく司会(MCというらしい)かひな壇の芸人がほとんどです。

マツコの指摘は、実力という面からすれば実にまっとうな真理を指摘しています。と、同時に元SMAPという「有名性の商品価値」もあるわけで、その商品価値の原価のかなりの部分は本人の才能よりは事務所のチカラによるわけで、よって、事務所の投入コスト回収はできないまでも、他への漏出は防ぎたいわけです。だって、コストを掛けて有名にしてやったわけですから。

マツコの指摘はいみじくも、現下日本のエンターティメントの現状を示していますが、実は、事務所のチカラを解体し、タレントは世にもまれなる容姿や才能によって大衆を楽しませる世界を作ろうという観点からの指摘でもなく、単に事実をマツコの有名性とタレント力で言っちゃっただけのことでもあります。

マツコなら、「一番バカなのはスポンサーよ!」ぐらいのことを言えばいいのに、彼は利口な人だから地雷はキワまでしか踏みません、そこがマツコの限界です。

メディアは事務所に依存し、タレントは事務所に依存し、大衆は事務所に依存しているわけで、一見太平な世の中ではあるけれど、実は、社会の中で経済に何が知らかの影響を与える層への娯楽となっていないことを考えれば、一番バカなのは「スポンサー」であることは間違いがありませんが、所詮、スポンサーと言っても単なる会社員で、会社の利益を消費しているだけなので、本当のバカは消費者なんです。

NHKをぶっ壊す」の立花孝志は「契約はするけれど、支払いはしない」と言っており、それをい暗に批判するかのごとくに維新の大阪市長、大阪府知事が追随していますが、実際にNHKに受信料支払の義務化は法では触れていませんので批判にも皮肉にもなりえていません。

「受信機を設置したらNHKと契約をしなければならない」とされているだけですが、「契約=支払い義務」という法的弱者の錯覚に乗じているだけであることは間違いのないところで、政府の言いなりの公共放送とは、実質的な公共などでは全くなく、たんなる自民党傀儡放送+娯楽放送なだけです。

民法は、政府の言いなりであると同時にスポンサーの言いなりで、よってただで見られるわけですから、嫌なら見なければいいだけのことです。

NHKは半ば強制的に受信料を徴収しているにもかかわらず、適正な「公共性」を担保する客観的努力は全くしていません。

つまり、立花孝志さんが正しいことは客観的事実です。

同様に民主党政権依頼、日本における「野党」は「野盗」以下の存在でしかありませんでしたが、「れいわ新選組」によって、少し変化が出てきています。山本太郎が、うろ覚えのMMTなどは振りかざさずに、税制改革により消費税を廃止すると根拠を示しながら辻説法をし寄付を募っていけば、次なる衆院選は変わりうると思います。

いまの安倍・麻生・黒田ラインがいつまでも長期の権力にいるということは官僚のチカラが強くなるだけのことです。誰が見たって安倍・麻生が自分の頭で世の中を動かせるはずもなく、こんな政治が長く続くことは官僚や竹中平蔵や大企業の既得権益を増大させるだけのことだと、有権者は気が付かなければいけません。

政治は、国民利益の最大化を目指すものでなければ、選択するべきではありません。

選ぶ野党がなければ作る努力をしなければ行かなかったのだと思います。

エンターテイメントも、政治も、変わるかは大衆がキャスティングボートを握っているという能動性を持つことで世の中は楽しくなるような気がします。

つまりは、今の世の中を作っている、一番愚かなのは有権者であり、大衆であるということを積み上げてきたのが「平成」だったとして精算し、「令和」で、少しは利口にならないと、自分自身の損失がでかいことに気づくべきでした。

何が正しいかではなく、大衆の善意や消費や楽しみを既得権益を持っている連中が高笑いしながら濡れ手に粟の如くゼニをかすめ取る世の中に一泡吹かせてやることを気概とか正義などではなく、楽しみとしてやろうじゃないと書きますが、かといって斯く申すワタシも、行動は伴っていません。

せめて次なる衆院選で「れいわ新選組」に1票入れるくらいです。

反省!

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