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ナレッジ、または暗黙知

さぼ郎
今はどうなのかはわかりませんが、ちょっと前に「ナレッジ」や「暗黙知」「形式知」なんて言葉が、盛んに使われて時期がありました。例えば自転車に乗るコツのようなものを「暗黙知」とするなら、これをマニュアルに書き出せたなら、それを「形式知」と呼ぶことになるのだと思います。

自転車に乗るコツや鉄棒の逆上がりのコツのようなものを、形式化することは「およそ無理」と考えてしまいますが、現実にはロボットが自転車を漕いでいますし、囲碁では人工知能が世界チャンピオンを負かしています。



このように、人間ならではのコツとか経験のような部分は、どんどん狭められているわけです。

動画でも説明がありますが、センサーやさまざまな制御を駆使してロボットをコントロールしているわけですが、その基礎的技術は人類の知性として共有され、その基礎知識を積み上げることで応用技術が実現できているわけです。

つまり、共有することができるためには、全体であれ要素であれ、ナレッジが形式化されていることが不可欠であり、そのナレッジも、体系化されていることが前提となります。

進化の過程で人間が、他の類人猿から離脱していったことの一つは、「知識の伝達」「知識の積上げ」があるのだそうです。

姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。

文字ができるまでは、どこの国でもこういう形で記憶力の特に優れた人材を集めて、口述で伝承していったことでしょう。

つまり、飛鳥時代の情報管理は、稗田阿礼のような記憶力に依存していたわけですが、文字が中国から伝わることで「」に書くようになります。

当時の「」も貴重品だったからこそ、清少納言の「枕草子」が書かれることになるわけですが、紙が安価になり大量に生産されている現代においては、その紙に書かれている情報を何らかの手法(仕組み)によって管理しないと、情報の氾濫と拡散を招くことにもなり、いずれ廃棄するだけの不要文書になってしまいます。

■ 文書のライフサイクル

文書管理の本や、システムの謳い文句に共通している視点に、文書には寿命があって、最終的には「廃棄」する時期の管理が適正に行うことを主唱しています。

また、「整理」とは「捨てる」ことだと、これまた、殆どの本やシステムの謳い文句に書かれています。

法定文書を除くと、発生から1年経過すると99%は不要な文書となってしまうらしいのです。

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ナレッジという観点から考えてみると、個々の文書の共有価値や、その文書価値を積み上げる工夫があれば、まさに「組織知性」とすることができるような気もしますが、AIが文書管理に導入されてくれば、そのような方向性の模索も始まることでしょう。

アメリカで仕事をしたことがあるわけではありませんが、アメリカは「契約」と「マニュアル」の文化だと言われています。

そもそも、レコードマネジメントという考え方や、公文書のあり方などは、アメリカが先進国であることは間違いのないところで、アメリカはドキュメント文化の先進国です。

SGML」の前身である「GML」のような構造化文書という発想がアメリカにはあって、日本にはなかったのは、文書を情報として捉えた場合、いかにして共有するかを真剣に考える国と、印刷を前提に美しい出力を文書の価値として捉える国との違いがあったのだと思っています。

■ 契約書

吉本興業には芸人と会社に契約書がないのだそうです。

民法では、意思表示の合致のみで成立する「諾成主義」という契約の形態があるようですが、詳細なことは民法を参照してください。

一般的には契約書があって、通常だと双方の記名捺印がある原本主義に基づくことが多いと思います。

もちろん、スマホや電子決済の時代において文書の形態は変わっていくことと思いますが、実物文書のやり取りは会計文書も含めて、当面は残っていくのだろうと思っています。

ハンコ押したほうが、契約書らしくていい感じのように思いますし、印紙税などはどうなっていくのかは、今のワタシにはわかりませんが、印紙などもデジタル化していくのでしょうね、きっと。

■ マニュアル

マニュアルもデジタル化をしようということで、「DITA」という規格があるようです。

軍艦や戦車のマニュアルを紙の文書にすると、まさか戦争の最中に紙文書を探して被害を受けた場合の対処を調べるようなわけにはいきません。

となれば、どうしてもデジタル化は不可欠なことになりますし、戦闘機や軍艦や戦車の全てのパーツが1社で製造できるわけでもないでしょうから、ドキュメントの規格を決めて納入業者が共通の規約のドキュメントを納品するという流れも、当然のことのように考えられます。

日本では、なかなか「DITA」が浸透しないという話を聞いたことがありますが、コストのことはもちろんなのですが、それ以前のこととしてドキュメント文化のあり方が違うような気がしています。現にSGMLも定着しませんでした。

■ まとめ

散漫な文書に「まとめ」があるのも不思議な話ですが、散漫故にまとめがないと収拾がつかないという反省の「まとめ」です。

いいたかったことは、
・法定文書は情報価値とは別の次元で管理(保存・廃棄)が不可欠である
・「暗黙知」はAI化される過程で必ず「形式知」にせざるをえない
・情報の記録は紙からデジタルへと変遷していくことは必至である
・それが全量であるかは定かではなく紙文書も当分残る
・さざれ石は巌となれるが、知識のリーフから大木は作れない

つまり、文書管理は文書のライフサイクル(寿命)を管理することぐらいは行きがけの駄賃でしかなく、定期的に発生する法定文書のような文書には、管理システムが不可欠というわけではなさそうです。

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文書管理をする主たる目的は、組織の集合知をいかに結集できるか、いかに集積できるかが、重要なミッションでなければいけない気がします。

この続きは次回!

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