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歴史的

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不思議な少年

マーク・トウェイン

さぼ郎
マーク・トウェインに「不思議な少年」という小説があるというので、早速図書館から借りてきました。
ウィリアム・フォークナーは、トウェインが「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」と記した。アーネスト・ヘミングウェイは『アフリカの緑の丘』において、「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」と述べた。
というぐらいのアメリカ文学の金字塔を打ち立てている作家のようです。

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子供の頃、「トム・ソーヤーの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」を夢中になって読んだ記憶があります。

1835年11月30日 - 1910年4月21日といいますから、日本では天保6年の生まれで明治43年に亡くなっています。関係はありませんが、母の姉、つまり叔母が明治43年に生まれています。

さて、「不思議な少年」の時代は、冒頭で1590年と書かれていますので日本では織田信長が足利義昭を追放したあたりの時代で、中世の世ローっぱになります。
魔女狩りの最盛期は16世紀から17世紀であったが、17世紀末になって急速に衰退していく。
小領邦の支配者ほど社会不安に対する心理的耐性が弱く、魔女狩りを求める民衆の声に動かされてしまったことが考えられる。
とあり、まさにサタンが言うとおりの様相です。

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主人公は「テオドール」、つまり作中の「」のことです。彼と「サタン」別名「フィリップ」との会話で進行する物語となっています。マーク・トウェインの「ペシミズム」による小説と解説されています。ちなみにペシミズムとは、「厭世観」のことのようです。

ペシミズムの骨頂と言えるエピソードをいくつか取り上げてみます。

留置場の中で在任を自白させようとして拷問しているところをテオドールが「獣みたいだ」というとサタンが「獣を侮辱している。拷問なんて獣はしないぞ。残忍なことをするのは良心を持っている人間だけの所業だ。獣にとっては悪なんてないのだから。人間には良心があるがゆえに動物として最下等にまで堕落した。」

テオドールとサタンがフランスの大きな工場に来た。たくさんの労働者が疲れと飢えでぐったりしながら女も子供も14時間も働いている。工場主は大金持ちで経験なクリスチャンなのに、同胞とも言うべき労働者は不潔と悪臭の中で働き蝿のように死んでいく。このようなひどい目に合わなければならない何をしたのか?人間に生まれただけのことだ。

テオドールの友人のセピが言うには、「ハンスという男が町からいなくなった。ハンスは飼い犬を力いっぱい棒で叩いていた。犬は目玉が飛び出してしまった。畜生のようなやつだ。」というとサタンは「畜生はそのようなことはしない。そんなことをするのは人間だけだ。」

ゴットフリートのお祖母さんが火炙りになった。お祖母さんは頭と首をもんでやって、ひどい頭痛を直してやったら「悪魔の助けを借りた」という罪で審理にかけられた。そしたお祖母さんは「はい、悪魔の力を借りました」と簡単に自白してしまった。なぜなのか?自白しなければ拷問にかけられる。もう老い先は短いし、一回疑いをかけられたら村八分にされて餓死するだけだから火炙りで殺してもらったほうが楽だ。

親友のニコラウスが溺れているリーザを助けようとしてふたりとも死ぬ筋書きにサタンが変えてしまう。テオドールは泣いて助けてくれるようにサタンに頼むが、サタンは「本来ならテオドールはリーザを助けられるが、そのことでヒドイ熱病にかかり、その後遺症で残りの46年間、毎日死にたがる人生だったのを、わずか6分で死ぬことにしてあげた。リーザは本来ならニコラウスに助けてもらって残りの39年間は堕落と恥辱と背徳とで、最後は絞首刑になる人生をニコラウスと一緒に死なせてやる」として平然としている。

リーザの母は、毎日娘が死んだことで嘆き悲しんでいた。そこでテオドールがサタンになんとかして欲しいと頼む。サタンは簡単にリーザの母の人生を変える。リーザが死んだことで神を汚す言葉を吐いたのを密告されて火炙りになることにした。テオドールがサタンに頼んだために火炙りになることで驚くが、サタンは平然と「彼女は天国に行くことが決まっている。だから29年も早く天国行けるから大儲けだ」とのこと。

マーク・トウェインは続ける。人類が誕生して殺し合いをしなかった歴史はない。常に少しでも大量に殺せることで進歩してきた。戦をすれば喜ぶのは王侯貴族だけ。そのくせ、平民を見下し軽蔑している。そんな馬鹿な戦争なのに命を捨てて戦うことを誇りに思っている。人民の施しで食っている乞食が王侯貴族なのに、彼らは人民を乞食であるかのように扱う。

キリスト教も 似たような論法で徹底的にこき下ろす。「キリスト教と文明がいつも手を組んでやってきたあとには、常に飢饉と死と荒廃がやってきた。まともに説明できる目的で侵略者が起こした戦争など人類史上で起きた試しはない。」

サタンはテオドールに未来を見せる。更にひどい殺戮。凄まじい大量破壊兵器を見せる。

カインは棍棒で殺した。ヘブライ人は投槍と剣で殺し合った。ギリシャ人やローマ人は身を守る甲冑や軍隊組織、統帥法を編み出し、キリスト教徒は鉄砲、火薬を使い出した。キリスト教がなければ、戦争なんてケチでつまらないものだったろうに。

村人はついに自分たちで魔女探しを始め、れっきとした家柄の婦人を魔女に仕立て上げる。結局、村人たちは彼女を絞首刑にして石を投げた。テオドールもすまないと思いながら一緒に石を投げた。

もし、テオドールが石を投げなければテオドールが攻撃の的になったであろう。そのテオドールにサタンは「君は他人にどう言われるか、そればかりびくびくしながら彼女に石を投げていた。人間はいつも少数者に支配される。多数が支配したことなどない。大多数の人間は基本は優しい人達だが、攻撃的で破廉恥な少数者の前に出ると自分の優しさを出す勇気を失う。

君主制も、貴族政治も、宗教も全ては人間が持つ欠陥の上に成り立っている。そうした制度は永久に続くだろう。それは、単に少数者の奴隷になっているだけのことで、自分だけは異端にならなければいいとする考えの上に成り立っている。魔女狩りなんて、ほとんどの人が反対だったし嫌だった。

いつも声の大きな一握りの連中が「戦おう!」と叫ぶと、最初は反対を唱えるヒトも出てくるが、そのうち凶暴になった群衆に言論の自由を奪われてしまう。大多数の善良で優しいはずの群衆が自らの言論の自由を弾圧しだす。そのうち「戦争、戦争」と叫びだす。あとは政治家共が嘘をでっち上げて被侵略国の悪宣伝をすれば、大多数の民衆は、それが嘘と知りながら一緒になって大声で叫びだし、隣近所を相互に見張りだす。

無実の罪で牢に入れられていたピーター神父の裁判でサタンは神父の無実をはらした。同時に神父を狂人にする。テオドールは、そのことをなじるがサタンは「正気で幸福だなんてことはありえない。正気の人間にとって人生は現実なんだ。狂人だけが幸福になれる。神父は死ぬまで自分を国王だと信じていられる。」

自己欺瞞、虚栄、妄想、欲望、そして時々正義。

あの世なんてものはない。あの世なんて単なる幻想。だって人生そのものが単なる幻、夢のようなものだ。全ては夢。神も人間も世界も太陽も月も無数の星も全ては夢に過ぎない。全ては、君の脳の中で作り出している虚事だよ。その君も君じゃない。ただの思惟でしかないんだ。僕(サタン)は、君の幻想が作り出しているだけの話だ。全ては君の認知と思惟と虚無の産物なんだ。

友と思っているだけで友なんているはずもない。しかし、それを認めてしまうと永遠の孤独になってしまうことを気づいているから君の思惟の中で作った価値観に従っているだけのことでしかない。神が本当にいるのならひとり残らず幸福にしてやればいいじゃないか。事実は一人として幸福にする事ができなかったのが神という、君たちの思惟でしかない。宗教は、正義や幸福を標榜しながら地獄という思惟も作った。

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神がいるなら神の責任はどうなっているのだ。神が人間を作ったとするなら人間が犯す悪業をどうして見逃しているんだ。こんなバカバカしいことがまかり通るには、神も悪魔も天国も地獄も、少数の人間の奴隷になることで考えることをやめようとする大多数の思惟から世界が作られていることを如実に示しているじゃないか。

この世界で唯一存在しているのは自分という思惟だけなんだ。

さて、ハックルベリーやトム・ソーヤーを生み出したマーク・トウェインが、このような厭世的現実主義の小説を書いているとは驚きでした。

ここまで厭世的ではないとしても夏目漱石の「道草」なども、底流には厭世観があったように思います。

物理的な存在の価値は、結局、人間の認知と思惟で作られているわけで、現実とは観念が作り上げているだけのことのようです。

確かに、自分が寝ている間には世界は存在していません。世界は、意識が覚醒しているときだけのものでしかありません。

すごい小説でした。圧巻。

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