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三浦按針の話《10》

三浦按針の話《10》

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按針塚のある逸見は、日本で唯一外国人・按針が領主として治めていた歴史上重要な町です。按針の屋敷は、『新編相模国風土記稿』に「村の中程浄土寺の南にあり」と記されています。史料「相中留恩記略」(安針屋敷が記載されている)浄土寺(按針の菩提寺...

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三浦按針の話《9》

三浦按針の話《9》

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京浜急行の逸見駅や安針塚駅を降り、20~30分歩いてひと汗かいたころ県立塚山公園に着きます。その中央に国の史跡「按針塚」があります。登り口には「大標石」がどんとそびえ“按針塚はここにあります”とアピールしています。階段を上ると右側にとて...

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三浦按針の話《8》

三浦按針の話《8》

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ポイントDからお城までの距離は、D-Cの間の距離と、ポイントCからお城をみた角度がわかれば算出できます。関ヶ原・家康の本陣では、、、。織田信長がポルタがるから伝来した鉄砲を使って長篠の戦いで武田軍に勝利したように、家康は三浦按針...

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三浦按針の話《7》

三浦按針の話《7》

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ここからは、私の仮説です。史料はありません。※仮説は赤文字の部分大坂城でアダムスに会い、リーフデ号にかなりの西洋の近代的な大砲や鉄砲などの武器を積んであることを知って、まじかに迫る合戦があるとを予感していた家康にとって、のどから手が出る...

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三浦按針の話《6》

三浦按針の話《6》

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艦長が病気のためアダムスと乗組員の一人を伴って将軍の派遣したガレー船に乗って大坂城へ向かいました。1600年5月12日に到着し、筆頭大老の徳川家康と謁見しました。そこでは、ポルトガル人の通訳を介して、「どこの国の人か、何しに来たのか、戦...

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三浦按針の話《5》

三浦按針の話《5》

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大分県臼杵市佐志生黒島 1600.4.191598年6月24日、オランダのロッテルダムを5隻で出発した艦隊が、1年10カ月の苦難に満ちた航海の後、1600年4月19日に豊後の臼杵の沖に錨をおろしたときには、リーフデ号ただ1隻となっていま...

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三浦按針の話《4》

三浦按針の話《4》

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1598年6月24日、5隻の艦隊でオランダ、ロッテルダムを出航した船団は、イギリス海岸に直航し南下、アフリカ大陸の西海岸に向かいました。出航の時期が遅れたのと熱帯地方特有の気候のため多数の船員が病人になり、8月21日ヴェルテ岬沖のサンチ...

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三浦按針の話《3》

三浦按針の話《3》

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ウイリアム・アダムス(William Adams)、1564年9月24日、イギリスのケント州ジリンガムで生まれました。ジリンガムは、テームズ川の河口から少し入ったところにあり、船員など船にかかわりのある仕事をしている人が多く住んでいる村...

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三浦按針の話《2》

三浦按針の話《2》

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ウイリアム・アダムス、イギリス人。日本名を「三浦按針」と言います。按針とは、航海士という意味です。まずは彼の風貌をみましょう。彼のゆかりの地を訪ねて按針像を集めてみました。①は、神奈川県横須賀市立博物館②は、静岡県伊東市の「按針メモリア...

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三浦按針の話《1》

三浦按針の話《1》

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作成:「按針のまち逸見を愛する会」吉江 宏イラスト:佐々木 貴行wiki「ウィリアム・アダムス」にリンク ↑三浦按針。どこかで聞いたような名前だけど、いざ何をした人物かとなると、ほとんどの人が口ごもってしまいます。それもそのはずです、歴...

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