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雑感

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世界史の針が巻き戻るとき

さぼ郎
世界史の針が巻き戻るとき」という本があって図書館から借りてきています。

頓活

書いたのが「マルクス・ガブリエル」という人で、出版社的には「天才」としておきたいようです。27歳でドイツのボン大学の教授になったという触れ込みです。

本を読んでいると、「なるほど」と思える部分もありますが、論旨が今一つあいまいだったり、取り上げたテーマを深く掘るのかと思いきやさらっと通り過ぎてしまったりで、「あれっ」と思ったりしています。

そもそもは、自分が「哲学」などに縁もなく、素養もないのが原因ではありますが、今のところ(といってもまだ読み始めたばかり)は、「目からウロコ」という感じではありません。

読み進めれば、あるいは哲学的素養が身につけば、見え方や世界が変わるのかもしれませんが。

たまたま、YouTubeで「ヒロシ」を見つけたので見ていたら、かれが最高に稼いだのが月額4千万円だったそうです。斜に構えて「ヒロシです」で、4千万円です!

頓活

最近は、さっぱりテレビが詰まらなくなりましたので、ほとんどテレビを見なくなりましたが、お笑い芸人がやたらと多用されていて、あれらが4千万円稼いでいるのをボケっと見ているならば、詐欺にあっているようなものです。

だって、お金払っているのはスポンサーで、そのスポンサーはモノを大衆に売って稼いでいるわけで、その儲けから電通と芸人に払われているわけですから、100円のパンを買えばお店の取り分とメーカーの取り分は仕方がないとして、10円が芸人、10円が電通というような感じですかね。

頓活

ま、それはいいとして、そのヒロシがお金を稼いだからジャガーを買ったそうです。その高級車のジャガーがしょっちゅう壊れるのだそうです。その都度、莫大な修理費がかかる。ある時、車屋さんが「外車に乗るというのは神田うのさんと結婚するようなものです」と言ってくれたので、ジャガーを廃車したのだそうです。

ガブリエリも著書の中で「テスラはメルセデスの足元にも及ばない」と書いていました。乗ったこともなくて、どうこうは言えませんが、「伝統」とか「歴史」って、蓄積したものが必ずあるはずです。

電気で走るからといってゲームじゃないのだからメカニック的処理は一朝一夕で完成するものとも思われませんので、哲学者ガブリエリの言うことが正しいような気がします。

テスラが素晴らしい車だ」とする風説は擬態だと思います。それは等しく、お笑いがテレビに出まくっている番組を「面白い」と思わせようとする擬態と同じじゃないでしょうか。

さて、そんな「ヒロシ」ですが、それが「R25」とかいうYouTube番組のインタビューなんですが、その流れでキングコングの西野亮廣さんのインタビューがあったので、ついでに見てみました。

人間から「誹謗中傷」を取り上げるのは無理 ということを受け入れる。このことは「いじめ」も同じ 冒頭から言います。

インタビュアーが「西野さんが、この国のサロンオーナーだったらどうやってまとめるか?」と聞いたら、
人間は「性弱説」であって、そもそも弱い生き物である。財布が落ちいてそれを盗むのは、「弱い」から盗むのであって、そもそもは財布が落ちていない仕組みにすれば誘惑を誘発することも無くなるといいます。
これは、極論としても、観点としては「ものを見る視点を変える」ことが必要だという指摘と思います。だからこそ、組閣するときなどには派閥の論理や当選回数などではなく抜擢人事を行なうべきです。

日本の海戦はハンモックナンバーで南雲忠一を司令官にした。アメリカは抜擢人事でスプルーアンスを抜擢した。だから勝ち負けが決まったということでもないのかもしれませんが「決断」において視点を変えられるというのは、大いにあると思います。

信長が秀吉を重用したのと同じ論理です。

で、ネットで誹謗中傷する人をなくすためには「発話」をしたい人と、なんでもいいからそれらを「否定」することが愉快と思う人、人の意見を「論破」したい人が、同じ場所にいることが「エラー」なわけで、いわば放置されたインターネットそのものは「システムエラー」であるといいます。

頓活

現実社会においても、それを多様性として様々な性格や思想の持ち主が混在している限り「いじめ」も「誹謗中傷」もなくならない。単にモラルやリテラシーの問題ではないわけです。

なぜなくならないかといえば、「いじめ」も「誹謗中傷」も、する人間にとっては「」だから だといいます。

ギリシャ哲学での善悪は、「善が正しいこと」で「悪が悪いこと」ではなく、「善とは自分のためになること」で「悪は自分のためにならないこと」というわけかたなのだそうだ。

それからすれば、人殺しもボランティアも当人にとっては「善行」であり、結論として、人間は善のためにしか動かない。

頓活

人を傷つけるということを排除していけば、自分にとっての「」の行き場を探さざるをえず、ほかに自分のためになる行いをするようになる。

不満を募集したとすると、それが不満を生み出す。最終的に、その不満において感情も奪われるようになる。不満を言えない環境にしてしまえば、世の中から不満が減っていく という論法です。

そうもいかない部分もありますが、とはいえ、インターネットというツールを手にすることで、自分のエネルギーの発露の行き場を得てしまったことから、人間の弱さゆえに、普通には出てこないような悪辣で陰湿な部分も出てきてしまいがちになります。

よって、議論にしても意見にしても、発信する人は「閉鎖空間」を作って、そこに似通った価値観の人だけを集めるようにして「ライオンはライオンの閉鎖空間」「ウサギはウサギの閉鎖空間」とすれば、いじめや誹謗中傷に使われるエネルギーがわずかでも善化されていく可能性がありそうです。

権力」という、人間の弱さが一番発揮されてしまうツールを手にした政治家の人々は、もろにその弱さに蹂躙されているような気がします。更に悪いのが、自分の能が不足しているがために、能のある官僚に依存し、あたかも官僚の能力が自分の能力であるかのような勘違いをしてしまうことです。

頓活

その象徴が、アベノマスクや森友の公文書改ざん、はては桜を見る会なんてのもありましたが、誰一人、責任を取らされた人はいません。自ら責任をとって自死した人が一人いるだけです。

これでは、エラーを起こすシステムを改善していくことは難しいどころか、政治そのものが「システムエラー」そものであるような気がします。



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