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科学的

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水素エネルギー

さぼ郎
日経サイエンス2020年7月号の記事から

頓活

水素エネルギー再評価」という記事がありました。またまた、例によって冗長で、しまりのない、何がいいたのだかよくわからない記事で、文字の多さと意味のない凝ったイラストで構成しているという、いつもの調子で辟易としつつも、日本のメディアが報じない海外の動向であるので我慢して3行飛ばしで読みました。

フランスの北部の町で再生エネルギーを使って電気分解装置を動かして水から水素を作っており、その水素を天然ガスに混ぜることでCO2を7%削減できるのだそうです。

ゴタゴタと締まりのない文章を延々と書いてあるのですが、要点をまとめると風力や太陽エネルギーは安定性がないため、常時、原子力か火力が控えていないと安定供給ができないところを、余剰エネルギーを水素にしておき、水素を燃やすことで電力を作れば安定性を確保できるということで、完全なクリーンエネルギーの世界を作ることができます。

ようは、採算の問題だけになります。

燃料電池車はコストがかさむため、欧米は安易に電気自動車を選択しました。しかし、現時点で水素を評価する機運が高まっているのは燃料電池車ではなく重工業における脱炭素だそうです。

頓活

電解槽の製造コストが採算ラインまで下がりさえすれば、天然ガス由来の水素ではなく、水から分解した純粋な水素になるので、完全にクリーンなエネルギーとすることができます。

当面は、トヨタが作っているような乗用車ではなく大型のトラックやバスを燃料電池車にすることが採用されれば、水素を供給するためのネットワーク(インフラ)が整備されてくるでしょう。

欧州はエネルギーの脱炭素のために水素に対して大きな期待をかけるようになっています。

イタリアやドイツ、英国では数十地域でガス管に水素を25%以下にして混入させているのだそうですが従来のガス器具をそのまま使うことができ、汚染物質も減らす事ができているようです。

ドイツでは大型の電解槽プロジェクトが立ち上がろうとしているようです。

日本でも水素社会へ移行する計画で2014年から公式のエネルギー制作に組み込んでいるとのことですが、まったく聞いたことがありませんでした。少なくとも都バスから燃料電池車にするなど、目に見える形で着手するべきでしょう。

科学技術の利権と通産省の利権と国土交通省の利権が絡むため、どこが利権を掌中にするかは自民党(と電通)への還流の額によって決まるのだと思います。

頓活

トラックやバスは燃料電池車がいいのか、バッテリーがいいのかは現時点では結論が出せそうにありませんが、バッテリーに蓄電するエネルギーはどのみち化石燃料か原子力なのでしょうから、早々に、水素社会にすべきなのですが、国家的戦略として原子力を電通グルミで推進しているわけですので、いきなり水素に切り替えるわけにも行かない政治的事情がありそうです。

なんといっても、原子力といえば、小判が飛び交うほどの利権構造が張り巡らされているわけですので、おいそれと自民党を筆頭に地域で美味しい思いをしている津々浦々の御用商人や地方議員の食い扶持まで考えなければなりません。

悪弊・悪習・旧習・利権を守ることこそが、自民党における「保守」の本質なのでしょうから、水素社会にすることで、どうやって電通、リクルート、パソナはじめ数多(アマタ)いる「越後屋」たちにお金を回して、甘利大臣のように大臣室で現生を手にするかを考案中なのでしょう。

広島で起きたことは、彼ら夫婦が特異なのではなく、選挙前の陣中見舞いとして150万円以内であれば公職選挙法もクリアなのだそうで、だから、津々浦々の議員(町・市・県議)たちがお金を抵抗なく受け取っているわけです。

頓活

水素社会にしてクリーンな世の中にすれば、「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」になることを、最も嫌がっているのは自民党議員であり、彼らを支援している有権者も同様でしょうから、「濁りの田沼」が日本社会においてはちょうどいいんでしょう。

次は、ドイツに関するNewsweekの記事です。

頓活

ドイツでは7月から付加価値税を19%から16%に半年間下げるのだそうです。ちなみにドイツの債務総額はGDP比で0.6倍。日本の2.4倍とは大違いです。

高橋洋一さんは債務だけで見てはいけない。債権(資産?)を見なければ単純な判定をしてはだめだといいますが、なんといっても債務を縮小する分には健全性が担保され、現下のような災禍に対しては、躊躇なく思い切ったことができるのも事実です。

MMTなどという中途半端な夢のような話に、山本太郎さんは熱病のように踊らされていますが、さすがに有権者のほうが良識があっておいそれと、財政出動論には乗りませんでした。

山本太郎さんの熱意は評価に値しますが、政治は「熱」と「風」が不可欠で、知識や理論や熱意や正義だけでは「力」にはなりそうもありません。熱意も正義もいいのだけれど、有権者は政治に対して金融経済論を求めているのではなく実体経済論を求めていると思います。

あのような「木偶の坊」歴然たる安倍晋三が能もなく長期政権で居続けられる背景には、我々の感知できない「」というか「」があるのに決まっていて、「アホな大将」であることをいいことに、官僚が思うままに操作している姿が目に浮かびます。。

では、なぜ東大を優等で出て、官僚になってあのように愚かな政治家たちに傅(かしづ)く人生を良しとするのか、そこを解明しないことには政治の健全性を取り戻すことは難しい気がします。

日本において、「政治の健全性」を取り戻すためには官僚機構の抜本的改革を前提にしない限り、かつての民主党のように政権維持ができなくなることは明らかです。自民党が有能だから政権維持ができているわけではなく官僚にとって自民党が都合がいいだけのことでしかないことは明らかです。

日本の景気を刺激するためには必要なことは、MMTで借金膨らませてお金をばらまくのではなく、経済成長をする以外に方法などありません。

ドイツはそこに(コロナ後の社会を見据えた先行投資)大規模な投資(財政出動)をするようです。

同じく悲惨な戦争を引き起こし、自国民のみならず多大な犠牲を強いたにも関わらず、戦後に、同様に経済成長をしたドイツと日本ですが、政府債務比率と経済成長後外から学ぶべきことが少なくないように思います。

頓活

基本的な違いは、政治と官僚の質の悪さが大きいように思います。国民のレベルはさほどに変わらないでしょう、根拠はないけれど。

実直で誠実で高い志がいくらあったとしても、いざ、選挙となればそこいらの愚鈍で強欲な有権者の1票をかき集めなければ、議員バッチを手にすることができないという、「民主主義」という愚かな仕組みがある以上、健全な社会を作ることはできず、おのずから官僚依存構造が不可欠になっていくのは、やっぱり回避できないことなのかもしれません。

実直で誠実で高い志」がある政治家に期待するのではなく、実直で誠実で高い志」のある人たちが官僚になってもらうことを期待するほうが実現性があるかもしれません。

資本主義も限界を超えると次の考え方が必要になるように、民主主義も、それが実現する社会に問題があることが共通の認識になれば、次の考え方が必要になってくるように思います。

願わくば、生きているうちに水素社会のみならず「良識ある人の、良識ある人による、あまねく人民のための政治」が実現されればいいと願うものの、願うだけで他力を本願しています。



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