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雑感

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最近の雑感

さぼ郎
中国人の姉妹のYouTubeを最近見ています。二人は姉妹で、関西弁をほとんどネイティブに話します。

まず、感じが良いので見ていても気分がいいです。そして歯がきれい。



中国でも、普通に漢文が読めないのだそうです。ちょうど、日本で古文が普通に読めないのと同じと言っています。

中国人でも「漢文」は嫌いな人が多いようで、学生は「文言文(中国で言う漢文のこと)」と聞くとゾッとするらしいです。

センター試験の漢文を姉が読み上げますが、妹は意味がわからんと言っています。

「ご飯食べた?」を漢文では「飯否」と表現するようです。いわば、「おせん泣かすな、馬肥やせ」みたいな、とても省略した簡潔な言い方が多いようです。

たしかに秀吉の手紙などは、これでよく通じるなというくらいに手短な手紙が多いです。妹のほうが言っていますが、昔の人のほうが「感情的な理解力、想像力」が巧みだったとの指摘は、当たっていると思います。

昔の父親が、子供を殴るとき、説明はなかったです。殴った後の弁解も。

頓活

姉は中国で全寮制の高校を出たのだそうですが、午前に5限、午後に4限、夜に4限。都合13限(13✕45=585分、約10時間)勉強するのだそうです。

夜の4限は宿題に当てるのが原則ですが、昼の授業で予定通りに進まなかった授業は、夜時間に先生が来て続きをやるのだそうで、そうすると宿題ができなくなるので就寝後に布団の中で懐中電灯で勉強するとのことです。

今から半世紀も前のことですが、学校に留学生部というのがあって、世界中からの留学生がきていて学部になっていましたが、留学生が不思議がっていたのは、日本の学生があまりに勉強しないことでした。

なんで「漢文」というキーワードに目が止まったのかと言うと、たまたま図書館から「大鏡」という本を借りてきていて、最初の文徳天皇の裏書きがぎっちり漢文で書かれていて閉口したので、気に留めたら面白い姉妹で、参考になることも結構ありました。

頓活

大鏡」とか「増鏡」は、名前は知っていましたが、手にとったのは初めてです。文徳天皇が生まれたのが827年で、藤原道長が死んだのが1028年。これだと、約200年。文徳天皇が死んだのが858年で、藤原道長が生まれたのが966年。これだと、約100年。

この間の天皇と藤原一族が書かれているようです。話は190歳と180歳の翁が二人で、ああでもない、こうでもないと会話している体裁になっています。

時間をかけて調べながら読んでみようと思っています。

それと、「荘子」を読み返しています。いまから20年ほど前に、結構、夢中になって読みました。その頃の印象として、かなりの影響を受けた気がしていましたが、年食って読み返してみると、印象が少し変わっている気がします。

頓活

それでも、見方を変え、字面通りではなくフカヨミしてみると、見えてくる世界が変わって来る気がします。

たとえば、「」という言葉は、普通に使う言葉ですが、荘子に言わせると「」があるから「」が生まれるといいます。本当の愛は「」などという感情などないものであるというのです。

違う見方をすれば、愛があるから憎が生まれるわけで、その意味では愛と憎は、表裏であるといいます。同じことは平和と戦争にも言えますし、健康と病も似ています。

健康であることは、健康であることを意識することはないわけで、病があるから「健康であること」を意識の俎上に乗せることになるわけです。すべからくそのようなもので、そのことを何も考えない、感じない事が重要なのだそうです。

頓活

当然、幸福も同じことで、幸福を感じることは対極には不幸があるわけです。

同様に荘子は議論ほど無駄なことはないといいます。議論をするということは相手の主張に対して自分の主張が正しいと言う前提があるわけですが、とどのつまり自分が「」であるという前提は、相手は「」であるわけで、それは相手にとっても同じことなわけです。

とどのつまり、理解を求めているわけでもなく、相違点を追求して相互に同意できるように歩み寄っていくでもなく、論破することに全エネルギーを注ぐこととなっていくわけです。

特にテレビの討論会などはそういう傾向が強いです。人と違うことを言わなければテレビから呼ばれなくなるわけで、議論するために意見を言うような傾向の度が過ぎているように思うこともママあります。

今もやっているのかはわかりませんが、弁護士が何人かで法律解釈を述べる様な番組がありましたが、法のもとに解釈を述べるだけの番組でしたが、こんなにも見解に違いがあるのかと思うほどの、一種の悪ノリ番組でした。後に政治家になり、今はタレントになった弁護士がいましたが、あの方の弁舌などは、荘子からすれば無駄の最たるもののようです。

軽々に自分の意見を、さもご満悦な風でまくしたてることに、自己の闘争心を屹立させて言語能力で意見開陳していますが、それって、決して知能が高いわけではなさそうです。ワタシの人生の経験からして、本当に頭の良い人は、およそ言葉を巧みにベラベラ喋らなかったです。

ちょっと能が足りないのではないかと思うくらいに言葉は少ないですが、将棋で言えば藤井7段のように、その議論の先の先まで見えているのでしょう。人を論破しようなどとすることにエネルギーは費やさなかったです



こんな動画がありました。1千万回を超える再生回数です。これって、どっちが正しいというのではなく、不毛な質疑になってしまっています。市長の側の対応を少し変えれば、女性質問者の対応も変えられたでしょう。

市政に関する全ての法律を熟知しなければ市長に質問すらできなくなるとしたら、殆どの報道関係者は聞くだけのメッセンジャーになってしまいます。素朴な疑問にでも、法的な背景を含めて説明するのも、税金で賄われている側の人間としての義務と感じました。

相互理解を前提にしない会話が、いかに無意味であるかを示す好例だと思いました。追い詰められた女性は、意地になって論理が支離滅裂になっていく。追い詰める市長は、それでささやかな快感を感じてほくそ笑んでいる。双方ともに、不毛な質疑だと感じないことが、とても不毛です。

最後の雑感ですが、リーダーについて書かれている記事がありました。リーダーとは、成果のためには多少エゲツないことでも決断しなければならないと書かれており、学術的根拠があるわけではありませんが、アングロサクソンは、そのへんが巧みだと書かれていました。

頓活

日本人は、そのへんが「甘い」人事を平気でやります。俗に「温情」とか、「ハンモックナンバー」のような、リーダーとしての資質以前に、決まってしまう人事によって、最適な組織運営ができないことが多々あると思います。

最たるものがインパール作戦の牟田口廉也やミッドウェー作戦の南雲忠一でしたが、大企業でも結構行われている感じですし、政治の世界では派閥の論理で人選されるようで、能力と大臣に、なんの脈絡がないことが、官僚主導を招いています。

頓活

日本が凋落していくのも仕方がないという雰囲気が漂い始めている空気を感じます。



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