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科学的

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ひとそれぞれ って多様性

さぼ郎
ナショナルジオグラフィックの記事にコロナウイルスの拡散に関する記事がありました。

ポイントは15日位のサイクルで突然変異をしているのだそうで、その変異をたどっていくと大本にたどり着けるのだそうです。

アメリカの場合は、
シアトルで最初に感染者が見つかった1月21日以降、何週間もの間、シアトルの人々の間でウイルスがいわばひっそりと培養され続けていたのだ。最初の患者は、中国の武漢を訪れた35歳の人物だった。
ということがわかってきているようです。

頓活

この記事では、いっとき、中国の生物兵器が漏れたという話もありましたが、それはフェイクだとしています。

3月初旬にスペインに旅行したヒトから感染の報道があって、なぜ、この時期によりによってスペインなどに行くかと思いましたが、にもかかわらず京都産業大学の学生が欧州旅行をしてクラスターになっています。

どういう考えなのかは本人に聞かなければわからないことですが「多様性」として捉えるべきなのでしょうか。

しかし、そもそもの「多様性」とは、
性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。
つまりは「ひとそれぞれ」ではないということになりそうです。自然科学では、この多様性があることで、環境変化に対する適応がされてきたわけで、進化にとっては不可欠な要素となります。

社会科学では、
同種同列の集団に在っては、個人が個人である理由が失われるが、各々がそれぞれに必要とされる社会では、個人は個人として尊重され、同時に他を尊重する。
「多様性」という言葉には、「自分勝手」も含まれるのかになりますが、綺麗事を言えば、「自己が尊重されると同時に他を尊重する」が含まれることが望まれているようです。

違う観点からすれば、様々な思想・宗教・哲学・民族・人種が入り乱れて存在した地域には、必ずと言ってよいほどの社会的な変革が発生しているのだそうです。

頓活

こうした行動の自由に対して過剰な批判をすることは、あたかも正義のように見えますが、正義の名を借りた弾圧になりかねません。

法に触れない限り、人々の行動や考えの自由は認めなければならないわけで、道義的な不始末に対しては、本人が自省するよりほかはなく、むしろ、人のフリを見て、我の規範とすればいいだけのことで、それ以上の干渉によって、より良き社会への変革を生むわけではありません。

安倍総理がアンチョコ見ながら抽象的なスローガンを言うより、志村けんさんの死をもって国民に示した「コロナの脅威」のほうが、よっぽどのインパクトがあったことは事実でしょう。

それだけ、政治に力がないがゆえに、官僚たちはやりたい放題なのも脅威ですが、それを許している政治は驚異です。



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