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頓活

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文書管理とレコード・マネジメント

さぼ郎
2020年2月8日、Googleで「文書管理」と検索したら136,000,000件ヒットしました。ちなみに0.53秒だそうです。

文書整理」では、24,200,000件を0.51秒でみつけてきます。
レコード・マネジメント」だと、5,710,000件で0.77秒だそうです。

これから単純に類推すると、日本では「レコード・マネジメント」は「文書管理」に比べてわずか4.2%の需要のようです。

ところが、「記録管理」で検索すると、293,000,000件となり、「文書管理」を超えます。

しかし、本当に「記録管理」という言葉が、「文書管理」や「レコード・マネジメント」という言葉を超えて浸透しているとも思えませんが、知らないのは私だけなのかもしれません。

公文書の管理は「養老律令」で細かく規定されています。その事は前の記事で触れました。いまから1,300年ほど前のことですが、その原型は当時の中国から「律令」として輸入されているわけですが、そこで公文書の管理がどのように規定されていたかまでは調べてありません。

紆余曲折はあったでしょうけれど、曲がりなりにもエッセンスと言うかマインドは江戸時代までは継承されてきたと言えます。

北条泰時の「御成敗式目」が「武家諸法度」として明治になるまで継承されてきたのと似ていると思います。

明治になるとガラッと様変わりしてしまいます。一つには西欧化という流れがあったことにもよりますが、権力構造が一変したことのほうが大きかったように思います。

この辺は根拠があって書いているわけではなく、「我思うに」でしかありませんが、為政者は官僚に頼らざるを得なかったと思うのです。権力は持ったものの権力を行使した経験がなかったわけです。

為政者の本義は「風を読む」とか「風を起こす」のような、実務よりも大括りの大局を判断するのが仕事であって、実務は官僚がこなすという両輪構造でバランスが取れることが最良の政治と思います。

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しかし、機構が複雑になるほどに権力を持つ為政者は、現実的判断を官僚に委ねなくてはならないことが増えてくるのも当然のことです。

この辺りから官僚が裏で主導権を握るようになったのだと思います。それも為政者を神輿として担ぎながら、後ろを向いて舌を出すような政治構造が明治、大正とつながって来たところに昭和の軍人という官僚が政治を完全に掌握してしまいました。

その結果が、1945年の敗戦になります。

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つまり、官僚は細かな絵を書く、精緻な図を描く、綿密な予定を立てる(絵に書いた餅であっても)。だけれど、大局は見ないし、腹を切る覚悟もない。そもそも有権者の人気投票で選ばれているわけでもない。

片や、欧米では、17世紀以降、直接民主主義や三権分立などが構想として取り沙汰されだすところに1775年にアメリカが独立します。

ようは、どこまで具体化されていたのかは詳しくは知りませんが、ともかく「民主主義」がメインテーマになってくるわけです。

国家を作った時の理念が「人民が主権を持ち行使する政治」だったわけで、とはいえ、奴隷制度などがあってすったもんだもしますが、ともかく「民主主義」だったわけです。

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1945年に完膚無きまで叩きのめされアメリカに占領された日本に、アメリカ流の「民主主義」が入ってくるわけですが、民衆が求めて勝ち取った民主主義ではなかったわけで、天皇が人間になったまではいいとして、主権が民衆にあるなどと考えた民衆は、そんなに多くはなかったと思います。

いまだって、選挙権は民衆にあるけれど、主権が果たしてあるのかないのかはスッキリわかっているわけでもないように思います。少なくともワタシは。現実的な主権は政治家などにもなくて、官僚が牛耳っているのが事実じゃないでしょうか。

となるとどうなるかというと、選挙で選出される「政治家」という「人気者」あるいは「地域利権の代表者」が、この複雑な国内社会・国際社会を泳ぐためには優秀な官僚の頭脳に頼らざるを得ないのは自明のことです。

政治家の偏差値を考えれば、子供にもわかる図式です。官僚の偏差値レベルを下げる事は簡単でも、政治家の偏差値を上げることは難しいように思います。なぜなら偏差値さえ高ければ政治家になるよりも官僚になるほうが安定しているし、総合的に見て美味しいからです。

せめて、中選挙区制度に戻さなければ、政治家のレベルを上げることは難しいと思いますが、それより政権が変わることで、官僚の上層部も入れ替えなければかつての民主党のように官僚から三行半を突きつけられて4年の政権すら維持できないこととなります。

と、これからが肝心なところですが何がいいたいのか、的がずれてきました。

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ようは、日本では古代より公文書管理があったのに、それは単に歴史の事実程度でしかなく、公文書を管理するのは、明治以降、官僚の一意に任せられてきたわけで、実態としては今も同じです。

官僚の認識としては、民衆に主権があって、政権の正当性を証明するのが公文書だなどとは絶対に考えていません。

敗戦時に民主主義とともにアメリカから流入されてきたのが「ファイリング」です。当時はコンピュータが実用レベルではない時代で、文書の整理法としては都合が良かった。

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事実アメリカで公文書管理とかレコードマネジメントが定着する時期に、民間企業も成熟しだしてきており、ファイリングキャビネットのメーカーの尽力もあって「ファイリング」が文書整理に使用されていきました。

そこに「レコードマネジメント」もどきにライフサイクルなどを導入することで「マネジメント」を標榜するようになり、いつの間にか「ファイリング」が[文書管理]を意味するようになっていました。

根本に立ち返れば「ファイリング」は「文書管理」の一部でしかありません。そして「文書管理」は「レコードマネジメント」の一部でしかないことを原点として考え直す、いい時期のような気がしています。

ピケティ的に表すなら、

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こんな感じです。

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桜を見る会」の名簿の扱いなどを見ていて思うのは先進国を標榜する日本の後進性を如実に物語っている気がします。愚かな人たちがしでかすことならまだ許せますが、官僚がしでかすことには悪意ある意図に基づいているわけですから、彼らを厳罰に処せるヒトの登場を待つしか有りません。

文書を整理し整然と片付ける段階。文書のライフサイクルを管理する段階。文書を記録として対処する段階。

このように段階を上げていくことが、組織文化のレベルを上げることに繋がり、情報や知識が共有され、あるいは事の証明であったり、あるいは歴史的価値の保全などが整然たるプロセスとして管理されることの重要性に取り組んだ組織は、組織知において優位に立つこと間違いのないところと思います。



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