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雑感

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力道粉末

さぼ郎
宮本輝の短編に「力道山の弟」というのがあって、力道山の弟という大道芸人が怪しい「力道粉末」というのを広場で売っていて、少年の宮本輝がオヤジからくすねたイコイの券(マージャン屋の金券)で買って飲んだら、夜中に下痢をして苦しんだという話です。

頓活

ま、それ以外にも人間模様が書かれていますが、「流転の海」の熊五と思しき人物が登場し、宮本輝少年が騙された「力道粉末」の袋を遺品の中から見つけて過去を回想するという話です。
毒蛇に噛ませた傷口に塗る薬をおでこに塗られたり、カミソリの刃に輪にした紙を載せ、さらにそこに青竹を載せて紙を切らないまま木刀で青竹を割る秘術
と書かれている部分が有りましたが、これ、八千代台の駅前でもやっていました。

毒蛇に噛ませると、傷口が紫色になってしまいますが、その特効薬を塗るときれいになり噛んだ後も消えてなくなります。

包丁で手を切ると血が出ますが、その薬を塗ると見事に傷口が消えてなくなります。

それで慌てて家に帰ってお金を取ってきて、その特効薬(キンカンみたいな薬)を買いました。

頓活

家に帰って早速、包丁でちょっと傷を作って特効薬を塗ったら、しみるだけで傷は消えてなくなりません。

そこで、文句を言おうと思って駅前に行ったら影も形もありませんでした。

宮本輝も同じような経験しているんだなと思いました。

竹刀で青竹割る大道芸も見た覚えがありますが、何を売っていたのかは覚えが有りません。

大道芸では有りませんが、秋葉原の駅前でも話術で商品を売るような人たちがいて、いろいろなものを売っていました。

消防のホースの生地が水浸しになった話も「流転の海」に出ていました。宮本輝にとってオヤジは小説ネタであると同時にトラウマになっているんだなと感じます。

あまりに強烈なオヤジだったし、そうした人材を抱えていた時代でも有りました。

戦前を生きてきた人の、おそらくすべての人が、今の時代の人々より「日本人」臭かったように思います。

戦中生まれは従兄弟にちらほらいますが、戦前育ちの父母、叔父叔母は死滅してしまいましたし、彼らの文化や見てきたもの、聞いてきたものを積極的に受け継ごうとしてきませんでした。

奈良平安に限らず、文字で残っているものは、それなりの教養人や身分の高い人たちに限定されますが、実は庶民の生活だから面白いはずなのに文字で残っていません。

頓活

源氏物語だって枕草子だって、登場するのは貴族か皇族です。今昔物語には、一部、庶民が登場するから面白いのだと思います。

戦前には自分が存在していなかったから、そのことをとやかく言えません。社会制度として今よりも圧倒的に窮屈だったでしょうけれど、日本人が日本人として生きていた時代でもあったような気がします。

庶民が庶民として生きていた時代だったような気がしています。

重要なことは精神がさまようことでなく、きちっと定着していることだと思うのです。「自由」というのは立派な精神だと思うのですが、自由故に精神がさまよっていては、自由の価値などありがたくもないことになります。

自由ということは、常に欲望の抑制と対峙することになります。欲望は生物としての報酬(快楽・快感)に直結しているから、結果として精神がさまよい出します。

頓活

これを自律するためには「知性」や「社会」や「家族関係」などの精神的な縛りが不可欠になります。つまり、「野放図な自由」は、結果として精神がさまようことになり快楽・快感を得られても精神的な喜びには到達できません。

中国での「文化大革命」によって、その前後で何が変わったのかの詳細は知りませんが、体制が変わるということは、前体制の否定があるわけで、日本でも太平洋戦争に大敗して社会体制が大きく変わりました。

頓活

中国のような窮屈な社会体制にならなくてよかったですが、それでも社会体制が変わることで戦前の文化も否定されたわけです。

このようにして時代は変遷していくのだから、どうにかなるわけでは有りませんが日本人が日本人らしくいることは、決して「天皇陛下万歳!」だけではないはずですし、古きものが必ず良いというわけでも無いのですが、自分の過去、親たちの過ごした時代にノスタルジーを感じて、宮本輝を読んでしまいます。



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