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あれこれ

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ギザ十、再びゲット

その他諸々

さぼ郎
昭和29年もののギザ十をゲットしました。10月20日から僅かの間に2個めですから、なにか運が向いてきた予兆かもしれません。

頓活

ABC商会で靴を見ていたら「リーボック」の靴でサイズが揃わなくなったためバーゲンになった靴が、自分の足にピッタリでしたので3千円で購入しました。

頓活

さすがのブランド品だけあって、疲れない、長く歩いても足が痛くなりません。とっても快調です。

先っぽが霞むスカイツリー

頓活

朝日を浴びる、先っぽだけのスカイツリー

頓活

オリンピックが、あと263日であるとの掲示をするスカイツリー

頓活

半月の写真を取ったら、日の当たる部分と影の部分がギザギザなことを示している写真

頓活

浅草ドンキホーテ店頭の水槽で飼われているウツボ。

頓活

海の中で遭遇するとギョッとしますが、水槽のウツボは、なんだか可愛そうです。これがコブラであってもマムシであっても同じじゃないでしょうか。

単に客寄せのために、他の動物を見世物にするのは人間だけの行いです。

さて、昨日(2019.11.8)で知己に頼まれた、またっく別世界の仕事が終わりました。きのうは、最終の段階としてつくばエクスプレスの「柏たなか」という駅から10分くらいのところで、最終調整をしてきました。

そして仕事が終わってから、「柏たなか」ではなく「柏の葉キャンパス」という駅まで歩いて行きましたが、この駅は異様な空間でした。このような片田舎にタワーマンションがにょきにょきと建っているのです。

作る人間、買う人間の心情が全く理解できません。

しかし、今回の仕事で出会った、他のメンバーはいずれも好ましい人々で、その意味ではとってもいい経験をさせてもらったと思っています。

単に自分の世界が狭いだけのことで、広い世の中には、素晴らしい人材がたくさんいて、接点がないだけのことで知り合う機会が無いだけのことです。

これはある意味、「喪失」でもあるわけですね。自分の世界を広げさえすれば、そこには素晴らしい人材がいて、交流することができるのに、その一歩を踏み出さないことで、自らを狭量にしているわけです。

いろいろな人がたくさんいて、いろいろな仕事があって、それで世の中が動いていることを身を以て体験しました。

今回の経験を通してつくづく思うことは、今の日本は、とても素敵に出来上がっている。その素敵さに甘えているのが官僚と政治家であることです。これだけは声を大にして主張したいと思います。

安倍首相で、長期安定政権を維持できるのは、安倍首相の力量であるはずもなく、単に今の日本の出来がいいだけのことに過ぎません。トランプのようにレベルを下げようとしても日本民度が許容するはずがありません。

逆に習近平やプーチンのような強権による支配だって受け入れるはずもありません。強権支配を許せば戦前に逆戻りです。

今更ながらで夏目漱石の「坊っちゃん」と「吾輩は猫である」を読みました。若い頃に「こゝろ」を読んで、ちょっと、漱石に距離を感じていましたが、昨年から、「草枕」「それから」「門」「道草」「硝子戸の内」「明暗」などを読むほどに、漱石の世界にハマって行きました。

「それから」「門」「こゝろ」は同じモチーフを扱っていますが、一番好きなのは「門」です。なにをどうしたところで、振り返って見れば、宗教の「門」は閉まっているのが、人生の本質であると思います。

その順番から「坊っちゃん」や「吾輩」を読んだことが、結果としてよかったように思います。

別かるるや夢ひとすじの天の川

「思い出すことなど」の中の俳句です。「門」の中にも、あの当時の根津では天の川が見えた時代でした。日露戦争に勝った頃から、日本、及び日本人が徐々に変質してきたのでしょう。

そして太平洋戦争(あるいは大東亜戦争?)に負けることで、古き良き時代は消失したにもかかわらず、今の日本が韓国や中国のような低劣な民度に落ちなかったことは奇跡なのでしょうか? あるいは、なにか必然があったのでしょうか?

「日本語」という、この類まれなる言語の寄与が少なからずあることは想像に難くありません。

それ以外に関しては、ワタシなどにわかるはずもないことですが、この日本には、素晴らしい人々がたくさんいて、そして、素晴らしい文学がたくさんあるということに、もっと、積極的に接していかなければ、それは消極的な「人生の喪失」であるということだけは、間違いのないところです。



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