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あれこれ

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雨の首ふり坂

さぼ郎
2019年9月28日は、台東区の生涯学習センター・大ホールで池波正太郎の「雨の首振り坂」という映画をタダで見てきました。

頓活

その上、主演の中村梅雀と時代劇研究家のトークイベントもありました。ちょっと残念だったのは時代劇研究家のペリー萩野さんの喋りの速度と声の上下起伏がちょっと聞き取りにくく、対談の途中で寝てしまいました。

やはり、それなりの大物を呼んでいる以上、司会役は専門家に委ねたほうが良かったように思います。

ストーリーは、若き日の源七(馬場徹)は兄弟分の藪塚の半蔵(金井勇太)と共に、ある貸元から敵対する前坂一家の親分殺しを請け負ったが、負傷してしまい髪結い・おふみ(芦名星)に助けられる。

源七がおふみの家に転がり込んでいるうちにおふみと情が通じて御文は子を身ごもる。そこに敵討ちが来たので源七と半蔵は再び逃げる。

それから27年。色々あって、ともかくどこかの宿場でうどん屋のオヤジになっている。そこにはちょうど捨ててきた子と同じくらいの半端な渡世人をうどん屋の主人にして、おとなしくしていたのだけれど、やはり敵討ちに狙われることとなり決闘することになる。

その敵討ちの側に半蔵がいて、半蔵とともに戦うことになるのが三浦貴大扮する名前は忘れた無宿人。

この無宿人こそが、中村梅雀若かりし頃のおふみが生んだ子であるというつながり。しかし、双方ともに、そのことは知らない。

で、中村梅雀と三浦貴大が決闘する。三浦貴大と一緒に中村梅雀を殺しに来たのが27年経った半蔵で。この役者が今はなき大杉漣。

で、中村梅雀が切ったはずだけれど、なんやかんやあって渡してあった小判が三浦貴大を守ってくれて、中村梅雀が三浦貴大に斬り殺される。

で、宿場町を通り抜ける三浦貴大が、うどん屋のおかみさんに、自分の子供の頃に渡された小判を渡して終わる。

ちょっと無理があると思ったのは若い頃の源七を演った馬場徹さんの27年後が中村梅雀というのが、いまひとつ、スムーズにイメージできなかったことです。

馬場徹さんという役者は知らなかったのですが、役にハマっていていい感じでした。梅雀さんも、いい演技をしているのですが、いかんせん、若い頃が馬場徹さんで、27年経っても、中村梅雀さんにはならないだろうとは感じましたが、些末な話です。

頓活

それと、映画タイトルが「雨の首振り坂」なのに、首振り坂での決闘シーンに雨が降っていなかったことは、ちょっと残念でした。

音楽は 良かった。調べたら「EGO-WRAPPIN'」という人たちが担当したようです。

頓活

源七に 腕を切り落とされた渡世人が、カタギになって源七のいるうどん屋に訪ねてくるシーンがあります。 源七が腕を切り落としたことを詫びるのですが、その渡世人は、あのとき、腕を切り落とされたからカタギになれた というシーンがありますが、それは、「剣客商売」の冒頭のシーンでも使われたモチーフです。

どちらが幸せか?

剣豪のママ生きることと、庶民として生きることは、単純には比較できませんが、例えば、ジャニーズでSMAPと言えば、かつてはジャニーズの代名詞でしたが、3人がジャニーズを離脱したら、マツコに言わせると「 SMAPじゃなくなった3人に魅力を感じますか 」となってしまう。

では、ジャニーズでなくなった元SMAPって、一体何?
そのことはSMAPでない、他のジャニーズメンバーも同様ということ。

結局は、事務所の力で有名になっているタレントは、事務所の看板を外せば、「元タレントの有名人」でしかないことを如実に物語っています。しかし、事務所の力とは言え、チョ~有名になって、それなりのお金も手にしていれば、カタギの庶民に戻ることもできないし、変装しなければ町も歩けないわけです。

なにが幸せか?

簡単には答えが見つからないテーマではありますが、とどのつまりは人間として生まれた以上、「幸福」は行きがけの駄賃ではないわけですが、大方の場合は、「折り合いをつける」ことで妥結(妥協ではない!)出来るので、それなりに「幸せ」に生きていられる人がほとんどのような気がします。

「有名」を獲得すれば、「無名」を喪失するわけで、「剣豪」を獲得すれば、「庶民」を喪失するのと同じなわけです。



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