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わが半生の反省の記《おまけ》

久々のギザ十、ゲット

さぼ郎
久々のギザ十がゲットできました。といっても貰い物です。昭和28年もの。当年とって65歳です。前回ゲットが2018年2月8日だったので4ヶ月ぶりの登場です。

「わが反省」の続編とするなら、高校時代は思い出すことも殆どないほどに、どうという出来事も友人もできなかったです。中学で嫌々ながらでもサッカーをやったので、高校でもやろうかと思ってクラブに行ったら部員が100人いるというので、速攻でやめてきて、なにくれとなく3年間を過ごしました。

大学時代には、生涯の「友」と呼べる石田文太郎さんとの出会いがありました。2年先輩でしたが、ワタシの人生で「友」と呼べる数少ないヒトでしたが、もうかれこれ7、8年ほど前に死にました。

死に方も、彼らしくて、ある日、妹から電話がかかってきて「お兄ちゃんが死にそう」というので、大慌てで指定の病院にいったら、すでに昏睡状態で、ただ、紙おむつはめられてほぼ裸の状態でベッドに置かれていましたが、1時間に1回程度推定モルヒネを看護師さんが打ちに来るような状態で、素人ながらに「お陀仏」が近いことはわかりました。

奥さんの説明では医者は「無理」「肉体は崩壊が始まっている」といっているのだそうですが、母親が「奇跡が起きるかも」とのことで、いわゆる延命をすることで苦痛を長引かせているような状態でした。

彼には「彼女」がいて、入院(土曜に入院)して2、3日は彼女とメールのやり取りをしていたようですが、水曜あたりになると「もしかするやばいかも」と察知しか、一斉に彼女へのメールを消去してしまいました。

奥さんは仕事のメールが入るかもしれないと思ってメールをチェックしていたので一斉に「福田」さんとのやり取りのメールが消えたので、ワタシに「福田さんって知っているか」と聞かれました。ワタシは「福田」という名字には記憶がなかったのですが、ピンときて「それ、ユリちゃんじゃないの」と答えたところ、息子の前で妙なこと言わないで と言われて別室に呼び込まれて「お金のこととか問題にならないかしら」と現実的なところに心配があるようでした。

病院出て、彼の近しい人に「もうじき死にそうだ」と連絡したら、翌日の午前に、笠間から松山さんが出てきましたが、その午後に石田さんは石田さんらしく死にました。

入院してから1週間で、あっという間に死んでしまいました。死因は肺炎。

石田さんとは思い出がたくさんあります。彼に家は母子家庭でした。お母さんは、海軍主計局で中曽根元総理大臣が、主計局の将校だった時代の部下だったヒトです。

ワタシが19歳のとき(彼は22、3歳と思う)に吉原に行こうということで、妹寝かせてから(そのころ、妹は小学生だった)二人で行きました。当時の吉原は、両側が大きな木造の旅館(というか、遊郭建築)になっていて、通路の真ん中に2本の白線が引いてありました。

お客は、その白線の中を通る限り、遣り手ババァが引っ張り込むことがないようになっていて、白線を越えて客引きをしないか地廻りが見回りをしていました。

旅館では、売防法(昭和33年)以前からと思われる娼婦が、まだいて、売春もしていたようですし、娼館の2階ではお座敷ストリップなどをやっていて、2階から降りてくると出口には花売りの少女ならぬ老女がいました。

彼との思い出は、いろいろあるけれど、駆け抜けるような人生でしたね。「生き過ぎた」のかもしれません。大学時代(武蔵美中退)は落研にいたとかで、話もとても面白かったです。

若かりし頃は文学青年で、彼が好きな戯曲はテネシー・ウィリアムズの「欲望という名の列車」でした。映画ではマーロン・ブランドが演じていました。

大学時代にはオーケストラに入りました。日野に誘われる前に入っていた吹奏楽ではコルネットをやっていたので、とりあえずトランペットにしました。ここでの思い出も特にはありませんが、一つだけ。

鬼瓦のような顔をしたのがファゴットをやっていて、彼は医学部だったのですが、1年生のくせに「これで名誉と金は手に入れたから、あとは女だけだ」といっていました。このセリフは印象的でした。

こういう連中が、官僚になって政治家を睥睨して思うままに世間を操っているのだから、世の中がよくなるはずもないわけです。

青春とはなにか?

能ある人々は、希望を実現するために着実に登る階段を定め、その階段を登り始める時期が青春なのでしょう。

能のないワタシは、その場限りの夢と享楽から、その延長に未来を描こうとして、そのことの実現可能性を追求することもなく、また、次なる蜃気楼を追いかけるというのが「ワタシの青春」であり、性分として今に至っています。

おそらく、能のないヒトの生き方は、大方似通っていて普遍化できるように思います。すなわち、夢を追って地に足をつけないか、夢を負わず地に足をつけた生き方をするかの2種類でしかありません。

山本周五郎に「虚空遍歴」という小説がありますが、これは才能を極めるために、常にこれで良しとせず、あたかも虚空を遍歴するようなものとして捉えています。虚空を遍歴していることは似ている気もしますが、芸を追求する姿とは根本的に異なり、収斂のための遍歴と、拡散の遍歴では結果が大きく違う気もしますが、喜びの総和は、そんなにも変わらない気もしています。

「夢」と「可能性」を識別できない生き方が前者で、冷静に識別できる生き方が後者になります。

ギザ十を見る都度に、「夢」も「可能性」も追わずに、人々の悲喜こもごもの手を渡り歩いてきた苦節を感じて、自分の生き方を戒められているような気がします。

たまたま見ていた中国鄭州市の水上生活者の父親が高校生の娘に言った言葉は一生懸命勉強しなければ、私の現在がお前の未来だ」。

そういえば、オヤジがワタシに言った言葉で「努力も才能のうち」というのがあります。努力する才能に恵まれなかったことへの自覚が足りませんでした。今、思えば両親は確実に見抜いていたと思います。

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