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あれこれ

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わが半生の反省の記《7》

さぼ郎
さて、中学まで来て、堀口満の「阿鼻叫喚」に行かなければなりませんが、その前にいくつか思い出したことがあったので、そっちを先に片付けます。

一つは「野犬狩り」。長い棒の先に、西部劇などでよく見るリンチのロープのようにして野犬の首に輪をひっかっけて引きずっていました。

流石に、獰猛な野犬も野犬狩りのおじさんは苦手で、子犬のような声で泣き叫んでいました。

次は「モク拾い」。捨てたタバコを拾っていました。いちいち、かごんで拾うのではなく、「ゴミ拾い」専用の、今どきで言うとトング様の道具を使って道路に捨ててあるモクを掴んでは背中の背負子に入れていました。

噂では、回収したモクを一回ばらして、新たに巻き込んで売っていたという話もあるようです。

その次は「タンツボ」。蛸壺ではありません。駅の階段を上がると必ずホームにホーロー引きのタンツボがありました。当時は結核が多かったとのことで、血痰をそこいらに履かれては困るからということでタンツボが置かれていたようです。

「交通整理」。品川あたりの大きな交差点の真ん中に、白色のお立ち台があって、警察官が手で交通整理をしていました。おそらく、電気式の信号機では渋滞が回避できなくて、人間がやらざるを得なかったものと思われます。

wikiによると自動式の信号機は昭和5年に日比谷交差点に設置されたのが最初と書かれていますが、戦時中は灯火管制の対象になったようです。いろいろ書かれていますが、ようは戦後の復活と共に普及していったわけで、過渡期には人間が制御していたわけです。

いまでは、人間がやる仕事の尽くを機械(ロボットとAI)がやる時代になりつつあります。これから安穏に活きるためには「手に職」以外に無いわけですが、人口減少などによる経済の危機を考えると資産は現物(金塊とか)で、仕事は農業が安全かもしれません。

終戦直後を研究するとヒントがあるような気がします。あるいは昭和恐慌を生き抜いてきたアイデアなども。

ということで、おまたせしました。堀口満の「阿鼻叫喚」です。

堀口満は、小学校の時から京成大久保の駅の直ぐ側にあった「パーラー石橋」のお嬢さんの石橋礼子に片恋慕していて、それで一緒にパーラーに行ったときのことです。

そもそも店に行けば石橋礼子がいるわけでもないのに、なぜ、パーラーに行ったのかは忘れました。で、やおら堀口満がウンコがしたくなってトイレに行きました。と、しばらくしたら血相を変えてトイレから出てきました。

要はウンコをしているときに定期を落としてしまったのです。どこに落としたかと言うと、当時の「パーラー石橋」のトイレは汲み取り便所だったので、その「溜め」に与野からの、半年間の、買ったばかりの定期を落としてしまったのです。

で、石橋礼子の親父さんに言ったら、親父さんは最初は棒の先にテープを付けて貼り付けようとしたのですが、かえって定期が潜ってしまいました。

そこで、苦肉の策として、長い柄のついた柄杓を持ってきて、それで定期をすくったのですが、その柄杓をお店の中の通路を、お汁をポタポタ垂らしながら、強烈な匂いも発しながら外にある流しまで運んだので、お店の中でパフェなどを食べていた女子大生などは悲鳴を上げて大騒ぎになりました。

で、液に浸ってしまった定期を洗って干したのですが、色が黄色になってしまったので、京成の駅員に事情を説明して再発行を願い出たのですが「だめ」ということで、堀口は半年間、黄色の定期で通っていました。

これが「阿鼻叫喚」の顛末です。

時代は、今より遥かにアナログで、いろいろな基準も緩やかで、人々は今よりは、いささかのどかに過ごしていたような気がします。

周りにいる大人たちは、普通の主婦でも機銃照射の弾の破片が足に入っているとか、戦地で九死に一生を得てきたとかいうような、天皇が神様の時代に「古き良き時代」を過ごした大人たちが普通に生きていました。

昔が良かったとは兼好法師の時代から言われ続けていることですが、結局、常にどの時代であっても「昔が良かった」ことは普遍的事実のような気がします。

そして、「良かったその昔」に、どれだけ良き思い出を作れるかが、年食って回帰する過去を美しく彩るのでしょう。

お後も特によろしいわけではありませんが、このへんで「半生」の「反省」を終えますが、肝心の「反省」がありません。

「後悔先に立たず」というありがたい言葉がありますが、先に後悔することはできないのだから十分に考えてから行うべきという意味なのでしょうけれど、逆に言えば、いくら考えたところで行なわない限り成功するか失敗するかは未知なわけです。

つまりは、くよくよ考えることなく、まず行動してから「あとで後悔すればいい」という意味なのではないかと解釈しています。

基準は「他人を傷つけないこと」「法を犯さないこと」だけは「後悔」するべきことではないですが、それ以外は、後悔でも反省も、好きなだけすればいいように思います。

その後悔や反省が、次に生かせるようなヒトは、美しい未来が待っているわけですので、つまりもしない思い出に浸ることもないのでしょう。これが、せめてもの反省でした。

そういえば、大正期に札幌で生まれて育った母親が言っていましたが、冬の間に荷物を運んだりした馬の糞が、春になって道の氷が溶けるようになって風が吹くのを「馬糞風」と呼んだと言っていました。

トイレも汲み取り便所で、春になるまで汲み取りに来なかったと言っていたよう記憶があります。シベリアに抑留された人たちも、そのようなことを書いていた手記を読んだ記憶があります。

全てにおいてルーズなワタシは、戦争もなく徴兵もなく抑留されることもなく捕虜になることもなく玉砕することもなく特攻することもなく、全ては自己責任で生きてきて、トイレは水洗で、実にいい時代に生きたと感謝の日々を過ごしています。



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