PAGE TOP

あれこれ

印刷する

わが半生の反省の記《5》

さぼ郎
さて、いささか書くもの飽きてきた半世紀の反省記ですが、書くほうが飽きるくらいだから読む方も飽きることとは思うものの、堀口満とのことでは、どうしても書かなければならないことがあります。

どうして堀口と仲良くなったのかは忘れました。ともかくクラスが日野と一緒だったことから、友情が生まれたことは間違いがありません。

堀口はバスケットボール部で、日野がサッカー部で、ワタシは吹奏楽でしたが、日野に頼まれてサッカー部に転部(サッカー部で部員が11人いないなんて今では考えられない!)したわけですが、夏休みもなく土日もなく、参りましたね。

学校から踏み切り超えたところに船橋あたりでは有名な「東魁楼」の工場があって、お金があれば、部活が終わると日野と東魁楼の工場で肉まんを買って食べました。一説には、習志野2中の運動部の生徒は東魁楼の肉まんで育ったという話もまことしやかに囁かれていたぐらいです。

学校の真ん前には乾物屋があって、そこで初めて日野が好きな「鯨のベーコン」を食べました。ワタシ的には、ちょっとだめでした。

そういえば、「ろばのパン」というのが時々学校の前に売りに来ていました。「パッカポッコパッカポッコ、ロバのおじさんやってきた〜」とかいう音楽流して馬がでかい蝿帳を引っ張ってくるんですが、その蝿帳のなかには蒸しパンがいろいろ入っています。

でも、蝿帳の直ぐ側に馬のケツのアナ(別名肛門)があるから、ハエもブンブン飛んでいました。それ食べたからって食あたりに当たったことはありませんでしたけど。いまなら、お母さんたちは決して「ロバのパン」を子供に買ってやらないでしょうね。

で、堀口と日野と、いつも一緒でしたが、その堀口がオヤジの関係で埼玉の与野(?)に引っ越してしまいました。しかし、堀口は親に頼んで転校せずに、与野から京成大久保まで定期を買ってもらって通うことにしたんです。

さて、そのことで2つの話があるのですが、どっちから先にしようか迷うところです。「無計画徒労編」か「阿鼻叫喚編」があるのですが、とりあえずは「無計画徒労編」からにしましょう。

夏休みに日野が「堀口のところに行こう」と言い出して、早速ノリました。なんたって「親友」ですから。で、堀口に今度自転車で「堀口んちに行くよ」と伝え、堀口は親に習志野から友だちが泊まりに来ると伝え、ここまでの計画は成立しました。

で、日野と自転車を漕ぎ出して習志野から与野へ向かったのですが、これが漕いでも漕いでも「与野(実際には与野ではなく大宮よりも北にあった駅だったと思います)」には着かないのです。

というか、何の根拠もなく、夕方の6時ころに行くと言って朝からでかけたのですが、日が暮れてもつかないのです。

グーグルマップで図ると約45キロです。ママチャリの時速が12キロだと書かれています。そうだとすれば4時間でつくはずですが、いくら漕いでも着きませんでした。

それよりも、地図もないし方向もわからないし、堀口の家の住所も電話も知らない。知っているのは駅の名前(肝心な駅の名前は忘れてしまいましたが、ついた時の印象では人気のない駅でしたから与野じゃないでしょう)と夕方6時ころにつくという根拠のない話だけです。

で、日が暮れれば人に聞こうにも人が歩いていない。標識も出ていないし、出ていても知らない町の名前。ともかく漕いで漕いで、どうにかこうにか11時ころについたのですが、いくらなんでも5時間も遅れたのだから待っているはずもありません。

いまなら携帯やスマホで「ピッ」とやればなんとでもなることが、当時の頭が少しうとくて勢いだけの子供は、こんなものだったのでしょう。

で、結論から言うと、駅についたら堀口に似た感じの青年が本を読んでいるのです。で、平安鎌倉の武士のように、お互いが名乗ったら堀口の兄貴でした。堀口家では1時間交代で家族が駅で5時間も待っていてくれたのです。

家に案内されて、ご飯食べて風呂入って寝て、朝に挨拶して朝ごはん頂いて、再び車上の(といっても自転車)人となって習志野に帰ってきたという話です。

こんなことが、あれから半世紀も経っているのに鮮明な思い出になっています。日野や堀口はどうしているのか消息は全くわかりません。

中学卒業してから、同窓会のようなことをやっていたという話は聞きましたが、全く参加しなかったです。その意味では「親友」が聞いて呆れる話ですが、行き合ったのは「学校」という場であって、それは単にたまたまなだけでしかなく、そこから先の人生には、もっとたくさんの出来事があって、多くの人と知り合っていくのだ! と勝手に決めていました。

確かに多くの人とは知り合ったけれど、それは単に知り合っただけのことでしかありません。小学といい、中学といい、年令に応じた経験や人間関係が人生では不可欠で、その意味では生意気なことを考えずに、そのまま「親友」を続けるべきでした。

馬鹿な話ですが、自分の「可能性」などという有りもしない幻想幻影を、知りもしない与野へ地図無しで出かけるようなものと同じ構図だと、今から考えれば得心のいく話です。

客観的に見て、自己を過小に評価するヒトは決して少なくなく、その逆に過大に評価するヒトは、日本人としては意外と少ないと思うのですが、概ね「愚か者」です。そして、自分がいかに「愚か」であったかが、言わんとする所の「反省」でもあります。

「可能性」などという甘言には、大方の場合は「迷い」を呼び込むだけのことで、あたかもその先に喜びがあるがごとくに錯覚しますが、可能性から果実が得られるのは、選ばれたほんの少数の人々に過ぎません。

端的な例を示せば、IQが180だとか200あったとしても、ノーベル賞をとったヒトは皆無なわけで、IQという定量的な指標においてすら「可能性」を示しているわけではないようですから、まして自己が勝手に認知する甚だ主観的な「可能性」などは、希望に嗜好がくっついた程度のもでしか無いということがわかるのには、愚か者には時間が必要だったということなのでしょう。

人に必要な指標は「実直」「誠実」「優しさ」くらいで、プラス「情緒」が豊かであればなんとか生まれた価値を享受できそうだと思います。どれも、ヒトに自慢できるレベルに備わっていないことを草葉の陰で、さぞ親は嘆いているのでしょう。

次回は堀口ネタで「阿鼻叫喚編」となります。



キーワード