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あれこれ

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わが半生の反省の記《2》

さぼ郎
さて、インパールから紋別郡生田原村に話は戻ります。戦後ということもあって、再び独立したとはいえ多くの国民の生活は塗炭の苦しみだったんでしょうね。

ちなみに1955年の国民総生産(GDP)は8.8兆円です。いまが大体500兆円ですから、1951年辺りからすれば経済の規模は100倍になっているわけです。

何がそうしたのかは不明ですが、一家は紋別郡から長野に移り、それから東京は品川の旗の台にある社宅に移りました。当時の旗の台は、まだ、そこいらに空き地がありましたし、延山小学校が木の校舎でした。

社宅と行っても、オヤジは外地勤務だったので、気楽な生活でした。どこのうちでも、昔のオヤジは煙たい存在でした。うちの場合は、元陸軍中尉でしたし。

外地勤務と行ってもニューヨークとかパリ、ロンドンではなくインドのゴアというところです。

話はそれますが、インドの「ゴア」は、15世紀にビジャーブル王国というスンニ派のイスラム王国だったのを1510年からポルトガルが占領してアジアの富を簒奪して本国に送っていましたが、インド領になるのが1961年のことでした。

オヤジは定年になるまでゴアに駐在して鉄を掘っていたようです。

で、旗の台の思い出というと、社宅でなにか悪いことがあるとワタシのせいにされたことです。本当にワタシがやったことなのかは、今となると定かではありませんがねじ込まれた案件には「雑巾を絞ってヌカ漬けの中に入れた」として怒られたこと。「2階の流しの排水溝に栓をして水を流しっぱなしにしたので水が溢れた」として怒られたこと。その他諸々です。

風呂はなく銭湯に行ったのですが、冬は母親がおでんを買ってくれたので、それが楽しみであったことなどは、鮮明に思い出せます。

品川の社宅より近代的な社宅が千葉県八千代郡八千代町にできたということで、今度は千葉県に移り住むこととなりました。そこで成人し、就職し、出たり入ったりしましたが、基本的には千葉県に根ざしていたので、アイデンティティは「千葉県人」のつもりでいますが、現実には「エトランゼ」です。

オヤジの言ったセリフで今でも忘れられないのは、ワタシが何かを欲しがったのだと思います。ま、おねだりしたのでしょう。そのときに放ったオヤジのセリフは、ワタシにとって一生モノです。

「みんなが持っているものなら、どんなに貧しくてもなんとかして買ってやろう。しかし、みんなが持っていないものなら、どんなに豊かでも買ってはやらない。」

昔の人(明治大正昭和初期の人)は、今の人に比べて人間のできが良かったですね。

今の人は、少し成功するとBMWとかレクサス(最近は金の入れ歯とベンツは下火ですかね?)になりますが、考え方が違うというか、まさに「ト金」なんでしょう。

そういえば小学校の時の友人で古野克己というのがいまして、いまでも時々電話してきます。少年マガジンとサンデーが創刊された時、二人でそれぞれを買って交換して読みました。

日清のチキンラーメンを初めて食べたのも古野の家でした。いまでも覚えていることで、八千代湯の裏で古野が「幸せという状態があるのか、それとも幸せとは幸せになる過程なのか」と突然聞いてきたことを覚えています。

ワタシは「幸せという状態はある」ときっぱり断言しましたが、古野は「俺は幸せに至る過程のことと思う」という会話をしたことを覚えています。当人は忘れていますけど。

そういえば、「自衛隊は必要か不要か」というテーマでクラスを2つに分けて議論させられてことがありました。ワタシは必要派だったんだけれど、知性派の連中の多くは不要派に多かったように思います。

余談
小学1年から2年までは、母のような包容力のある長谷川先生でした。人生ではじめての集団生活のスタートが長谷川先生だったのは幸運でした。

そういえば、小学校に入る前に今なら普通に幼稚園に行きますが、当時は半分くらいでした。オヤジは、どうせ小学校に行けば不愉快な集団生活をするんだから幼稚園などに行くのは無駄とのことで、そこいらで遊んでいました。

とはいえ、時間になると近所の子供の半分がいなくなるので空疎感を覚えた記憶があります。

近所の後家さんが飼っていた猫の四足を木に縛り付けて、後家さんに思いっきり怒られたりしました。いまなら問題児です。

自衛隊で議論をさせたのは小学校3年から6年までの担任の青木千三男先生でした。小学校を卒業してから、青木先生が結婚したとのことでみんなでお祝いに行こうということで先生の下宿にいった時、先生の机の上に「ハウ・ツー・セックス」みたいな本がおいてあって、それを眺めていたら新妻がどっかに持っていってしまいました。

コスタリカでは常備軍を廃止して、必要に応じて徴兵するのだそうですが、それじゃ、戦闘機の操縦やミサイルの発射などできそうにありませんが、いまだに侵略されたという話は聞きません。

日本では、最近では5兆円超えの防衛費で、海の落ちるような戦闘機を百数十機も買わされる始末です。

かつて、アメリカは有りもしない大量破壊兵器とやらでイラクに侵攻しました。そのときは小泉内閣でした。「オン・ザ・グラウンド」という決め台詞で脅かされての始末でした。アメリカ以外の政府は国民にその間違いを詫ましたが、小泉さんはいまだに総括すらしていません。

で。いまはトランプ政権が、イランを盛んに挑発しています。イクサになれば集団的自衛権発動で、自衛隊も派遣される事となるでしょう。

「イスラエル、エジプト両軍の停戦維持を監視する「多国籍軍・監視団」の司令部要員として、4月19日〜11月30日に派遣」とのことですが、国連が統括していない任務でも安倍政権では自衛隊の派遣ができるようになったそうで、それが国際貢献なのはわかるとしても、日本にとって必要不可欠な国際貢献なのかは、ワタシのようなぼんくらにはわかりません。

ということで、続きは次回。



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