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「令和」雑感

さぼ郎
さても5月1日から元号が「令和」になりました。明治からは、元号は天皇に付随することとなり、1代に対して1元号だそうですので、改元されたということは、天皇が代わったということになります。

4月30日は通常より少し早めに眠くなり、5月1日はいつもどおりに起床しました。朝のまどろみの中で夢を見ました。

仙台へ車で向かっているのですが、どういうわけか雪道になっていて、誰かに連絡しようとするのですがスマホの電池が足りません。そこで充電するのですが、なんと、前に使っていた携帯だったので、スマホが使えないという状態で、ともかく雪道を仙台に向かうという夢でした。

この夢が「吉」か「凶」かは不明ですが、なんとなく徒労であることを鑑みると「吉」ではなさそうです。

とはいえ、一夜明けたら国を挙げて天皇特集をしているようですし、若者たちは渋谷などで改元をお祭りとして騒いだようですので、まずは天皇の代替わりを「歓迎」したのでしょう。

改元を特段に考えないで寝てしまった「不敬」を無意識が察知し、雪の道を仙台へと車で向かわせられたのでしょうか。

「天皇」というと、なんといっても「万世一系」と「男系男子」がつきものです。

「万世一系」をwikiで調べてみると、
慶応3年(1867年)10月、岩倉具視は、「王政復古議」に「皇家は連綿として万世一系礼学征伐朝廷より出で候」(原文カタカナ)と指摘した。これが「万世一系」の語の初出である。
とのことで、てっきり北畠親房が後醍醐天皇と下級貴族を集めて奈良に王朝を築いたときに、正当性を打ち出すために造語したのかと思っていましたが、比較的近代の言葉のようですね。

「一系」とは「一族」というような意味合いのようで、いわば、一つの王族によって継承されてきたという程度の意味合いでいいようで、長兄継嗣に限定する必要はなさそうです。

例えば有名なところで「後深草天皇」と「亀山天皇」は、後嵯峨天皇の子供で兄弟です。

そもそも、後嵯峨天皇は後鳥羽上皇の孫で、土御門天皇の子供でしたが、北条により後嵯峨、土御門、順徳の3上皇は島流しになり、順徳天皇の子供の仲恭天皇は廃帝にされました。

そこで、後鳥羽じゃない系統から後堀河、四条へと皇位が継承されたものの、四条が12歳で崩御したため、有力貴族は仲恭の異母弟を天皇にしようとしたものの、北条重時の圧力で土御門の皇子が後鳥羽天皇として即位しますが、4年で退位し後深草が天皇になりますが、弟の亀山に天皇を譲るように促し、亀山天皇の子供を皇太子にして、治天の君を決めずに崩御することから南朝と北朝に分かれることとなります。

いまだに天皇の正当性において南朝か北朝かというような話が出ることがありますが、その根拠は「三種の神器」だそうです。が、一族で皇統を牛耳る限りにおいては、どっちも正当であると言えそうです。

だって、皇統は血統により継承されるわけですから、「三種の神器」の必要性はないわけです。大覚寺統、持明院統に別れたのも大した理由があったわけでもなく、そこに北条の壊滅と後醍醐という皇統無形(?)な権力志向の人物が登場することで混乱が起きただけのことと思います。

結局は北朝に収まり、現在に至っているとされていますが、論理的なことや正当なことはわかりませんし、興味もありません。

将軍も天皇も、正室からの子供であるよりは側室の子供であることのほうが多いようですが、大正天皇から側室はやめてしまったようです。

昭和天皇も平成天皇も、男の子に恵まれたから皇統を守れましたが、令和天皇には女子しかいないため、いずれ礼宮の系統に皇統は移るようですが、そうするのか、はたまた女性天皇にして、さらに女系天皇にするのかは時代と社会が決めることと思います。

とはいえ、今の安倍政権は日本会議系であるようですから、男系男子にこだわるのでしょうけれど、令和がいつまで続くかは不明ですが、令和が終わるまで安倍政権であるはずもなく、どのようになっていくのかは皆目見当が付きません。

どのようになろうと、国家として皇族の「人権」を尊重したいですよね。

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