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取り組み

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主戦場

さぼ郎
The Main Battleground
of
The Comfort Women Issue

という映画を渋谷で見てきました。

「Main Battleground」とは「主戦場」であることは間違いのないところです。下段の「慰安女性の論点」が抜けています。

要は日経のアメリカ人が、日韓で争っている「従軍慰安婦問題」のルポルタージュを映画化しています。

客観的に見て、製作者は「左派」寄りの論点であるような感じがします。「右派」の代表格では杉田水脈さんが結構、登場していました。櫻井よしこさんも登場していましたが、怪しい人間にお金を払っていたという証言に対して言明を避けていたのが印象的でした。

韓国では「20万人の少女」が日本軍によって強制連行されたとして国際社会で主張しており、主としてアメリカのメディアでは結構、その話題をとりあげているようでした。

映画の中でも言われていましたが、20万人の慰安婦が1日5回、兵隊さんを取らされていたなら毎日100万人の兵隊を相手にしなくてはなりません。しかし、中国、韓国に出征していた兵隊の総数は150万人から200万人とすると、それだけでも数は合いません。

これは南京虐殺にも似て、こちらの被害者総数は30万人ということになっています。中国慰安婦問題研究センターは、「第2次世界大戦中にアジアの女性約40万人が日本軍の慰安婦にさせられ、このうちの20万人以上を中国の女性が占めた」との統計を示しているという記事もありました。

これはネットで探した記事で、映画では中国は扱っていません。映画は日韓の右派と左派にインタビューをする形で作られています。

日本政府の論調は、証拠がないから無かったの一点張りですが、客観的に見て戦い方とすれば韓国のほうが勝っている感じは否定できません。

一般に被害側の声は大きく、加害側の声は小さくなるのが世の常です。

日本側の反論は、少なくとも国際社会にアピールできていないことは、福島産の食品でWTOの裁決の如くです。

映画の最後の方は安倍晋三の批判になっています。要するに日本会議という団体に関与している政治家が多いこと。安倍晋三が靖国神社へ参拝したことも取り上げられていて、彼の中立性は真っ向から否定されています。

なぜなら、アーリントン墓地は宗教施設ではないけれど、靖国神社は宗教施設であり、かつては軍人が宮司だった宗教施設に、多くの政治家が参拝することの政治的な右傾化も取り上げています。

櫻井よしこさんが、この問題が大きくなったのは吉田清治という人が韓国で女性たちを強制連行をしたという「嘘」を朝日新聞が報道したことから始まったというようなことを発言していました。

映画の中では、政治的圧力によって朝日が記事を取り下げたような内容になっていました。

ワタシの個人的な意見としては、韓国も中国も「白髪三千丈」てきな数字の盛りはやめて、真摯に学術的に議論する姿勢が必要と思います。まず、そこから歩み寄らなければ話は先に進みません。

が、学術的な証拠を集めるとしても資料がおよそないことと、証人といっても両者の証人が不可欠ですが、このことに関して加害側も被害側も、表立って触れたがる話題でもないから、結局は被害側だけの主張になってしまいます。

慰安所の慰安婦の殆どは軍に入り込んでいる業者が関与しているだろうことは推測することができますが、慰安所の開設に軍が関与していることも間違いないことだと思います。

勝新太郎の「兵隊ヤクザ」などをみても、おおよそそんな感じのシーンがたくさん出てきます。日本からの従軍慰安婦はかなりの数が大陸に行っていると思いますが、そのあたりのことは全く触れられていません。

しかし、ケント・ギルバートが冒頭で「彼女たちは売春婦だった」との一言で切り捨てようとしているのにも違和感がありました。そういうケースも少なくはなかったとは思いますが、問題の本質をついているわけではないように思います。理由はともかく、言い方、顔つきがとても嫌な感じがしました。

最後に出てきた90歳の元兵隊以外、結局は右派も左派も、実際の経験に基づかない人たちばかりが伝聞や資料をもとに対立している事自体がとても不思議です。

どちらの立場に立つにしても、証拠がないというからには論拠がないはずなのに、なんでまことしやかに、このようなナーバスな話題に立場を鮮明にすることができるのかが不思議でしょうがありません。

本来であるなら両国の未来のために政治的に決着をし、事実の範囲をある程度具体化させ、補償と謝罪をすることで、蓋をする以外に解決の方法はないわけです。

補償と謝罪をし、政治的に決着をしても論拠がないことを無視して蒸し返すことは、解決する気がないという、いわば思想的な姿勢以外の何物でもないわけですから、すなわち、いつまでたっても解決しないわけです。

解決しないどころか、結果として日本社会の右傾化に拍車をかけていることは、韓国にとっての利益は全く見込めないわけで、ちょうど、アメリカがイランを締め付けることと近似している気がします。

事実はきっと、右派が言うほどには無いことでもなく、左派が言うほどにはあることでもないわけで、右派にとっても左派にとっても「了解点」で政治決着されることが不都合なような気がします。

結局は、右派も左派も言うことは違っているのだけれど、論理的な歴史解釈ではなく、思想的、あるいは信条の表明に近くて、解決の道を探ろうとはしていないことは明確でした。

違う味方をすると、韓国の「右派」と日本の「右派」で、どちらの声が大きいかを争っているような気もしますが、この問題で立場を表明することで、政治的な、あるいは社会運動的な利用にしているのかもしれません。

「主戦場」という映画タイトルの言わんとする主戦場が何処だったのかといえば、結局は事実の解明ではないところ(つまりは、民族主義の主張の場)が「主戦場」になっているということなのでしょう。

しかし、渋谷はすごい。駅から外に出たのは数年ぶりでした。ヒカリエというビルは知っていましたが、初めて通り抜けました。通り抜けたあたりは、かつてな裏町のような趣がありましたが、ヒカリエに占領されていました。

「春の小川」の歌になった渋谷川は、とっくに地下に埋まっています。夏目漱石などを読んで、かつての東京を憧憬するワタシにとっては、今の渋谷は価値の対極にあります。

津田梅子に変わられた樋口一葉の「たけくらべ」を再度読んでいます。物語の場所は竜泉で、吉原のすぐ近く。登場する人たちの親が吉原で何が知らかの仕事をしているような情景です。

登場人物の中のひとり、美登利は花魁の妹で、いずれ初潮が来ると、その先の自分に起きることをそれとなく感じるようなシーンも描かれています。

そのことの是非を問うことにも未来に対する意義がありますが、韓国が提起する「従軍慰安婦」問題に関しては、日本軍の組織的関与と強制性とその規模に対する歴史的考察をせずに水掛け論を繰り返しても、国際社会において日本側の優位性が認められる公算は低いと言う観点から戦略を練る必要があるように思います。



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