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をちこち

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50年も前のこと

さぼ郎
iTunesでビリー・ジョエルがかかりました。ビリー・ジョエルを初めて聞いたのは、昔住んでいた町の喫茶店でした。

記憶は極く曖昧で、高校生あたりの頃かと思ったら、かれがデビューしたのは1971年だから、高校生ということではなさそうです。

町の喫茶店で、ビリー・ジョエルの「ピアノマン」が好きだという同世代のヒトから教わって初めて聞いたのが「ピアノマン」だったようです。

で、その喫茶店にはお嬢さんがいて、その後、そのお嬢さんとピアノマンを教えてくれた彼氏が「できてしまった」という噂を聞きました。

その喫茶店の並びに本屋とかレコード屋があって、小学校時代の同級生が、その本屋の売り子をやっていて、ワタシが本を買ったら「元気?」とか声をかけられて、店出てしばらくしてから小学校の同級生であったことを思い出した ってことを今、思い出しました。ちなみに、町に今でも住んでいる連中の話では、店の売り子のバイトをしていた娘はいまでは音信不通だそうです。

レコード屋さんにはよく行きました。当時はLPだったので買ってから家で聞くと傷がついていると、交換してもらいましたけど、古き良き時代のことですね。

小学校の生徒会長の家があって、その表札に確か「陸軍中将」なんて肩書が書かれていました。おじいさんの肩書なんでしょうか。戦争が終わってまだ、15年くらいしか経っていない頃でした。

道は舗装もされておらず、メインストリートには自衛隊が戦車を走らせていました。埃がすごいのですが、みんなで並んで敬礼しているとたまに自衛官が乾パンとかくれました。演習場が結構そばにあったので、それで戦車が通ったのでしょうが、演習場はいいとして、どこから来たのでしょうか?

今でも付き合いがあるのですが、フルノくんと町の北にある銭湯の裏で、かれが、「幸福というのは状態だと思うか」と聞かれて「きまっているじゃん」と答えたら、彼いわく、「幸福とは幸福に至る過程じゃないかな」なんていっていました。

その古野くんは去年、軽い脳梗塞だったようで、今ではずいぶん回復したようです。もう、十分な爺様です。

町のレコード屋でベートーベンのピアノコンチェルトの5番を買ったらグレン・グールドだったのは、高校生の頃と思います。グールドは1932年生まれだから辻褄は合いそうです。

組織が成長する背景として、組織内の従業員の成長抜きには考えられません。では、従業員はどのようにして組織内で成長していくのでしょうか? 単に年令を重ねるだけのことではないはずです。

組織には目的があって、その目的に即した人材が集まっているわけです。先輩、同僚、後輩という階層の中で、ある種の適正な競争意識や先輩の知識・経験などから職業人として成長していくことは間違いのないところであり、組織に従属するということから得られる「所属する」「同化する」というような意識(アイデンティティ)が成長を支えていてくれたような気がします。

このことは町も同様だし、違う観点からすれば「時代」「風景」なども、自分たちの成長に大きく寄与していてくれたと思いますし、なんといっても親と小学校低学年のときの先生。

バイリンガルの女性が、アメリカにいて英語を話しているとアメリカ人のマインドになり、日本にいて日本語を話していると日本人のマインドになる。つまり、言語がアイデンティティの役割を果たしているというわけです。

しかし、そうした一面はありますが、やはりアイデンティティの背景は、自分の成長に大きく関与していたものの(あるいは文化とか)存在のほうが大きい感じがします。

決して、兼好法師のマネをして昔がいいという気があるわけではありませんが、自分が子供の頃の大人たちは、少なくとも今の自分よりは成長していたことは間違いのないところです。

組織は成長する、そして疲弊していくように、結局は国も同じ道を歩むのでしょうか。

政治家って、どうしてあんなに爺様ばかりなのでしょうか? もっと若い人ではなれない? あるいはなりたくもない仕事なのでしょうか。

教育委員会とか児童相談所って、どうして子供の虐待とかを防げないで平気でいられるのでしょうか。職業意識って、どうなっているんでしょうか?

組織が従業員を成長させてくれ、その相互作用によって組織だって成長するんではなかったんでしょうか?

昨日だったか一昨日だったか忘れましたが、職業生活で一番思い出したくないヒトが夢に出てきて、「フィンランドに行ってくれ」って話です。切符は手配したからというのですが、何しにフィンランドに行くのかは不明のまま目が冷めました。

夢の続きを見ないことを祈るばかりです。

彼の職場で、仕事を通じて成長した部分は否定できません。しかし、仕事というのは企業活動において大切なものではありますが、至上のものではないと思うのです。従業員の成長を見込むべきものであり、成長を支える風土があるべきものだと、いまでも確信しています。

ワタシが現役時代に行った従業員調査でわかったことがあります。上司が人間的に優れていることよりも、多少、嫌な上司であったとしても、仕事が面白いことが従業員のモチベーションは上がるということです。

逆を言えば、配慮でモチベーションを上げるのには限界がある。にもかかわらずセクハラだのパワハラだので組織における上限関係においても「配慮」の度合いが増えていて、このことは家庭内においても同様のような気がします。

役所が組織としていつまで経っても成長できないこととして、個々の役人が成長できないこととの関連は密接だと思います。

その理由は、仕事からモチベーションの高揚が得られない上に、ろくでもない上司しかいないからじゃないでしょうか。つまりは、生活の安定などで職業を選ぶのは先見の明があるのかもしれませんが、自分個人の成長からすれば、大きな損失とも言えそうです。

日本の劣化は、日本の大人の劣化であって、その原因を除去しなければ、後に続く人たちが可愛そうな気がします。

原因の一つには競争に勝てば上に上がれるというアメリカ流のサクセスストーリーがあって、そうした競争社会(≒資本主義)があって、プラスするところの民主主義(観念上の平等主義)が、人間を歳相応に成長させていないのではないかと確信するに至っています。



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