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あれこれ

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ギザ十、ゲット

さぼ郎
ちょっと10日ほど留守にしている間に昭和29年物のギザ十をゲットしてもらえました。意味はまったくないのですが、とりあえずは「幸先が良い」と思うことにしています。

さて、運命と宿命と言うと「《宿命は生まれる前から決まっていたもの、《運命は生まれた後に決まるもの」というような解釈が多いようです。

命に宿っているとするなら、たしかに前世的な感じがしますし、そこをなんとかしようとして宗教などが入り込む余地もありそうです。

翻って、命が運任せとするなら、コレだと努力してもしなくても、なんだか、神がサイコロで決めているような気もして、少し気楽に生きてみようかという希望が持てそうでもあります。

例えば、宝くじをバラで1枚300円買ったら10億円当たったとするなら、まさか、これは「宿命」ではなく「運命」なのですが、ひとは「運がいい」というくらいで、命との関連では見てくれません。

ワタシは、かつては世の中で起きることはすべて「摂理」が起こしていることで、その意味ではすべてが「宿命」だと捉えていました。つまりは、「運命」というのは認知の仕方が違うだけであって、起きたことに「運」を持ち込むのは人間だけの為せる技だと思っていました。

ところが、セブンイレブンで「相対性理論と量子論」という680円の本を見つけて買ってみて気がついたことがあります。

ニュートン力学というのは、いわば確定的な原理を、しかもヒューマンなサイズ内の出来事を示していると思います。故に我々の認知に即していると思うのです。

アインシュタインが出てきて、光の速度は一定で時間のほうが一定でないというような考えを打ち出してきます。このことは、ニュートン力学とは立場が異なってきますが、所詮、光の速度なんて想像もできません。まして、物質の持つエネルギーが光速の二乗と、どのように関係するのかも想像すらできませんが、現実、原子力発電所では発電できているから事実なのでしょう。

さらに、分子よりもっと小さな世界の理論である「量子学」となると、量子は粒子であると同時に波動であると言い出します。また、量子の位置は、確率でしか言い当てられず、その場所は絶対値の二乗で言い当てることができるというようなことをいい出します。

一つの量子の波動の性質で、自分自身に干渉することも観測されています。その量子の、更に小さな世界になると、それは弦であるというようなことをいいだし、その弦であることは、すなわち宇宙が一つではなく、無数にあることを意味するのだと言う人も出てきます。

あるいは、量子の世界の確率とは、すなわち多世界であることを意味し、その多世界が極く小さな領域で、しかもかなりな高速で振動しているため、多世界が一つに重なっているように見えるのだそうです。

つまり、量子の世界は、いかなる測定装置であっても実測することができず、それがために理論が先行しているというか、理論のみでしかありません。しかし、それが嘘っぱちかと言うと、それなりに理にかなっているようでもあるようです。

話をもとにもどして、「宿命」をニュートン力学として捉えるならば、「運命」は量子力学に例えられるのかという着眼ですが、まさに、運とは何かと問えば、量子のようなものであり、あるときは確率であり、また、あるときは単に人間の認知の問題でしかなく、しかし、確実に努力や能力とは全く関係なく訪れるわけですから、神はサイコロを振ることは、アインシュタインが言うほどには嫌いではなさそうです。

つまり、宿命はいかんともしがたいことのようですが、運命のほうは神と仲良くしていれば、なんとかなりそうなもののようで、お布施や賽銭などは、前渡しのようなものとして考えると、コレが先になければ、やっぱり神も仏もサイコロは振ってはくれなさそうです。



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