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あれこれ

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「道草」を読んだら夢を見た

さぼ郎
「片付いたのは上部だけじゃないか。だから御前は形式張った女だというんだ」
 細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「じゃどうすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものは殆ほとんどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
 健三の口調は吐き出すように苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。
「おお好いい子だ好い子だ。御父さまの仰おっしゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」
 細君はこういいいい、幾度いくたびか赤い頬に接吻せっぷんした。
と、まぁ、このようにして102節を終わるわけです。で、睡眠に入り夜明け頃に一回目が冷めて二度寝のまどろみの中で、「夢」を見ました。

どこかの宴会場にいるんです。で、料金を払おうとしたら札入れがなくて、クローゼットに預けたコートに札入れを入れたことを思い出し、クローゼットの前に行ったら、前に同じ職場だった女性(当時は20代で夢の中ではそのままだった)が赤ん坊を「あなたなら大丈夫、預かっていて」といって機嫌の良い男の赤ん坊を預けたまま、宴会場の階上に上がっていってしまいました。

2階が演舞場で、どうも芝居を見に来たようなのです。

仕方がないので、宴会をやめて宴会場の付近を、赤ん坊と散歩をしていました。顔を見ると笑う、とても可愛い男の子で、それはそれでいいのだけれど、いつまで経ってもお母さんが帰ってこないのです。

建物の下から「お母ぁ〜さ〜ん」といくら呼んでも誰も顔を出さないうちに目が冷めてしまいました。

「道草」とは「目的の所へたどりつく途中で、他のことにかかわって時間を費やすこと」。ワタシの夢こそ、「道草」そのもののような気がします。

さて、漱石がこの小説をなぜ、「道草」としたのかは不明です。彼の何を持って「道草」と言いたかったのかは、解説にも書かれておらず、あまり好きな書評家ではないのですが松岡正剛さんを調べてみたら「草枕」はありましたが「道草」はありませんでした。

考えようによっては、人生の目的の所といえば「死」であって、その過程はすべて「道草」とも言えそうです。
外へ出る時は黄八丈の羽織を着せたり、縮緬の着物を買うために、わざわざ越後屋まで引っ張って行ったりした。その越後屋の店へ腰を掛けて、柄を択より分けている間に、夕暮の時間が逼まったので、大勢の小僧が広い間口の雨戸を、両側から一度に締め出した時、彼は急に恐ろしくなって、大きな声を揚げて泣き出した事もあった。
こんなシーンは、想像もしたことがありませんでした。この時の小僧(丁稚)は、その後の明治なかで、どのような人生を過ごしたのでしょうか?
彼は昔あった青田と、その青田の間を走る真直ぐな径とを思い出した。田の尽る所には三、四軒の藁葺屋根が見えた。菅笠を脱いで床几に腰を掛けながら、心太を食っている男の姿などが眼に浮んだ。前には野原のように広い紙漉場があった。其所を折れ曲って町つづきへ出ると、狭い川に橋が懸っていた。川の左右は高い石垣で積み上げられているので、上から見下す水の流れには存外の距離があった。橋の袂たもとにある古風な銭湯の暖簾や、その隣の八百屋の店先に並んでいる唐茄子などが、若い時の健三によく広重の風景画を聯想させた。
これは姉の家から自分の家に帰る道すがらの情景です。姉の家は四谷荒木町界隈の俗称「津の守坂」と言われる(松平摂津守の屋敷があった)あたりにあったようで、漱石自身が生まれたのは早稲田の南側なので、だいたい、「津の守坂」の北側の地形は記憶にあった模様です。

「菅笠を脱いで床几に腰を掛けながら、心太を食っている男」などは、その後、どういう人選を歩んだのでしょうか。世の中は天才や権力者だけで作られているわけではなく、こうした庶民の文字にも起こせない些細なことで埋め尽くされているような気がしています。

漱石の文章のなにが「文学」なのかはワタシなどが語るようなものではないところですが、「衰ろえるだけで案外変らない人間のさまと、変るけれども日に栄えて行く郊外の様子とが、健三に思いがけない対照の材料を与えた時、彼は考えない訳に行かなかった。」と、こうした情景の描写が日本に無くてはならない文章になっていると思うのです。

芥川のように湧いて出るアブクのような文字の飽和とは、根本的に異なる世界を構築していると思わざるを得ません。

はたまた、樋口一葉の「たけくらべ」のような、読み終わって何年もしてから一つの小説から部分ではなく全体としてじわじわと滲み出てくるような凄さとも、また別格のもののような気がします。

ところで、漱石の「草枕」をグレン・グールドが愛読していたというようなことが正剛さんの書評に書かれていたような気がします。まさか、日本語で書かれていたわけではないと思うのですが、日露戦争が始まる直前の日本の地方社会のどこまでを理解していたのかは不明です。

グレン・グールドといえば、ワタシがお年玉で初めて買ったベートーベンの「皇帝」がグールド(とストコフスキー)でした。あとは、「ゴールドベルク変奏曲」と「ブラームスの間奏曲」。全部が素晴らしいわけではない気もしますし、あまりにも彼は異様ですよね。

そもそも、誰それの弾くピアノとか、誰それが指揮をする交響曲なんちゃらみたいな評価はあまり好みません。誰が引いても所詮ショパンがベートーヴェンを超えることはないわけです。弾き手はプロであれば、微細な違いがあったとしても、ベートーベンのピアノ・ソナタ31番は、31番ですから。

弾けもしないで馬鹿なことを言う人 って多すぎます。

「個々の人間は恥ずかしくなるほど世界について無知であり、歴史が進むにつれ、ますます知っていることが少なくなっている」とは、原始時代のヒトであれば自分の着るものから食べるものすべて、火をおこし戦いに勝たなければならなかったわけです。

にもかかわらず、知識として与えられているに過ぎないことを、さも、自分の経験であるがごとくの錯覚をしている。これを「知識錯覚」というのだそうです。

そして、みんなが「韓国憎い」といえば、「そうだ、そうだ」となることを「集団思考」というのだそうです。民主主義は「有権者はよく知って投票する」という考えに基づいているのだそうですが、その前提が正しかったことは有史以来一度もありません。とどのつまりは「衆愚」に落ち着くことは自明です

短絡的に言えば民主主義とは衆愚のレベルを競うものでしかありません。

「知識錯覚」と「集団思考」が、ナショナリズムに結びつくことで、世界の地図が変わろうとしているのが現在の世界情勢です。そして、安倍さんは、自分の名を森友・加計以外にも歴史に刻もうとしていますが、彼自体も「知識錯覚」と「集団思考」があればこその宰相なわけです。



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