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あれこれ

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再び、ギザ十ゲット

さぼ郎
バス停の写真で面白い宣伝を見つけました。今をときめくアイドルを使って「ハゲ」の宣伝をするなんて、縛りの強い事務所を離脱すればこそのことなのかもしれません。

Newsweekにニッキー・ヘイリーというアメリカの国連大使を持ち上げる記事が掲載されています。

ニッキー・ヘイリーの記事にリンク

インド系だそうです。優秀なのでしょうけれど、ワタシはイランの米英仏独中ロが2015年7月に結んだ核開発に関する合意から離脱するときのニッキー・ヘイリーさんの演説が、とても気に入っていません。

政治家に自分の意見でモノを言えといっても、政党やらポジションやらの縛りがあるのかもしれませんが、とはいえ、自分が話したことは、自分の責任であって、つまり、イランの核開発に関する合意から離脱することを話したニッキー・ヘイリーの意見であって、それはトランプ大統領と同じ考えであることを意味しなくてはなりません。

そのことが、国際社会に与える影響の大きさも、賢い人なら当然のことながら分かっているはずです。

都々逸を思い出します。「白か黒かで喧嘩はおよし、白という字も墨で書く」というのがありまして、賢い人から愚かな人が集まって烏合となすのが政党だと思います。

その政党が決めたことに党議で拘束するなら、政党人の賢愚は平準化されてしまい、どうしたところで、賢人の賢人たる所以を政治に直接的に活かすことはできそうにありません。

ニッキー・ヘイリーというヒトが世間で言われるような優秀な人であるならば、あまり優秀そうではないトランプ大統領の意向を汲む以上、ニッキー・ヘイリーというヒトの優秀さはトランプ大統領の愚かさに上書きされてしまいます。

ことは日本政治も同じで、安倍ナニガシの愚かさに対抗できる個の優秀さはすべからく安倍ナニガシの愚かさで上塗りされてしまうわけです。とはいえ、アメリカから言いなりで戦闘機を1兆円も買わされたところで、いざ、戦になれば石油の備蓄以上の戦いはできず、なにがしたい防衛なのかは不明なことです。

しかし、民主主義という「平準化」は、優れて優秀なことができない代わりに、優れて愚かなこともできないはずですが、森友問題や加計問題を見る限り、優れて愚かなことがまかり通っています。

これを支えているのが「優れて愚かな」政治家だけの力ではなし得るはずもなく、「優れて優秀な」官僚がバックアップしていることは自明です。しかし、優秀を自認する人々が、優れて愚かな」人々を支援する構図には、きっと人生の喜びは少ないであろうと思っています。

原始時代ならいざしらず、高度に文明が発達した現代に於いて、人間の喜びは「素直であること」「公平で公正であること」こそが基準となるはずだと考えています。

人間に「性善説」や「性悪説」などを持ち出すことこそ笑止なことで、このような基準は道徳という価値基準で、いとも簡単に変化してしまいます。戦前は天皇ために死ぬことこそが「善」であったわけですから。

中国や韓国の国民であったとしても、国家の主張や、国家の行う教育や、国家という権力者の意向に沿う思考こそが、「素直であること」「公平で公正であること」の対極に位置するものと思います。

「素直であること」とは「自分が自分であること」に他なりません。思想だの宗教だの主義主張だのに自分の領域を侵食されることから得られる喜びは、およそまやかしであるというのがワタシの信条です。

その信条からささやかな喜びが12月にに起きました。

12月6日に昭和28年もの、11日に昭和27年もの、そして13日に昭和28年もののギザ十が手元に巡ってきたのです。11月からですとなんと5個です。

3000万人に一人しか当たらない宝くじには「ひょっとすると」と思うのが人間です。しかし、162人に一人の交通事故には自分は遭わないと思うのも人間です。

2ヶ月に5個もギザ十が手に入った自分は「癌」に当たってしまいました。しかし、友人がくれた本には、癌になったことで見え方が変わる世界もあるようです。

二人に一人があたる「癌」に罹患したことで見えてくる世界を楽しむこととします。どうせ、一度死ねば終わる人生ですから。

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