PAGE TOP

あれこれ

印刷する

癌と人間原理について

さぼ郎
膀胱内に癌が見つかり、同時に前立腺にも癌があることがわかったのが2018年2月のことでした。

その後、3月、5月に経尿道的膀胱腫瘍切除術(TURBT)を2回受けて、7月、8月にBCGによる抗癌治療を受けたのですが、9月の検診で、再度、癌の疑いが出てきて、10月にも再診したのですが、はっきりしないのだそうです。

ドクターが悩んでいるのは、ここで前立腺を手術すると、半年は膀胱癌の手術ができなくなるからだそうです。その間に膀胱癌が筋層に浸潤してしまうと膀胱全摘になってしまいます。

臭ければ削ってしまえばいいようなものですが、とりあえずは来月の診察で決めようということになりました。

「がん」はなぜできるのか』「そのメカニズムからゲノム医療まで」という本を図書館から借りてきています。

本の内容も難しいのですが、それよりも癌の発生がとても難しいメカニズムから発生していることは、わかります。といっても、がんに限らず免疫も、『抗体医薬と自然免疫の驚異』という本を読むことで、とても難しいことは、わかりました。

旧知が「がんに効く生活」という本を送ってくれました。著者はダヴィッド・S・シュレベールというフランス人の精神科医で、ピッツバーグ大学の医学部で前頭葉と統合失調症の研究をしていたときに、自己の脳に脳腫瘍があることがわかって、その経験を本にしています。

 wikiによると彼は、1961年4月21日 – 2011年7月24日と書かれていたので、50歳で亡くなっているようです。

365ページ中、まだ51ページしか読んでいません。宗教のような話になるのか、はたまた、代替医療のような話になるのかは不明ですが、50ページまで読んで、研究領域の医者は、臨床にあまり熱を入れないようですが、自分がいざ、不治の病に侵されていることがわかったときから、世界の見え方が変わり、患者の苦しみが見えてくる事が書かれていて、立場が変わることで世界が変わることがよくわかります。

このことは、何も不治の病などでなくても往々にして起きることで、もっと原点に遡れば生まれたときから「立場(ポジション)」がある程度は決まっているわけです。が、多くの場合は、持って生まれた「ポジション」は自覚として無視できるレベルです。せいぜい、犯罪を侵さないとか。

有り体に言えば、美醜とか賢愚とか、あるいは、親の資産。はたまた、昨今、皇族のお姫様の結婚を報道していますが、生まれたときに、プリンス、プリンセスな人もいるわけです。

美醜や賢愚を生活の糧にしなければ、普通の人生を過ごすことが出来ますが、多くの人は、美や賢を生活の糧にするのが世の常でもあります。

家光は三代目(というポジションを世襲した)で、家光なりの幕府のしくみにしたことが、面白おかしく書かれている書物を目にすることがあります。

リスク〈上〉―神々への反逆』という本があるのですが、この中でも書かれていることに「世襲」の厳しさがあります。通常は平均への回帰という生物の摂理があるようで、親が優秀だと、平均へ回帰していく。つまり、普通に近づくわけです。

日本でも総理、副総理をみているだけでも、あるいは芸能人の二世、三世をみていても、なんとなく分かることです。

生まれたときの「ポジション」が、ある程度決まってしまっていて、そのことは遺伝的なことばかりでなく、人脈・金脈・職業・役柄なども、実は生得的に受け継いでいるわけですが、能力や性格のようなものと、受け継いだものとのギャップが大きい場合は、受け継いだ当人が一番困惑するであろうことが、なんとなくわかります。

将軍なら大政奉還すれば事は済みますし、大塚家具のように企業経営がうまく行かなくなれば売却するとか、最悪、倒産すれば終わりになります。

しかし家柄(名家とか貴族・皇族)のようなものは維持できればとりあえずはいいとしても、先の敗戦や維新のように体制が変わることで没落していく家柄の当人にとっては、世襲したことが、当人の人生に大きな影を落とすのではないかと懸念してしまいます。

病気も世襲される部分があります。一つには遺伝。他には生活環境。

癌もいろいろ解明されてきていて、どんどん治療の領域が広がっています。それは結構なことではありますが、オプジーボのように治療に数千万円もかかるようになると、それでも、人の命が地球より重いといい切れるのかは疑問となります。

社会保障のお金がないなら無いなりに、命をお金で買うことになっていくのもしかたのないことだと思います。あるいは安楽死のような選択も無いとは言えません。

そういえば「人間原理」という視点にしようと思っていたのですが、話がそれてしまいました。

簡単に「人間原理」のことをwikiでは、
物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方
と定義するのだそうです。

この宇宙に人間が誕生したのは、人間が誕生するべく時間や空間や物質が構成されたからであることは間違いがありませんが、人間の認識があることで宇宙の存在が認知されるというのでは、なんにも「原理」ではありません。

原理とは「他を必要とせず、なおかつ他が必要とする第一のもの」だそうですが、ようは「説明不要なコアたる論理」のこととしています。それ以上、ロジカルに因数分解できない自分の価値観と解釈しています。

この原理には、知性だけでなく感情の大いに移入されています。たとえば、「天皇陛下」や「靖国神社」が「ありがたいか」と聞く場面で、「ありがたい」とするヒトの多くには、理屈ではなく、そのことが「原理」となっているわけです。

つまり、それが「原理」である以上、議論の余地はないわけです。なぜなら「他を必要とせず、なおかつ他が必要とする第一のもの」としているからです。

宇宙のことを考えても、動物のことを考えても、科学はいくらは進歩したものの、人間が宇宙に存在している間に、宇宙の神秘も生命の神秘も、真理は、結局はその向こうにあるような気がします。

人間原理」など、たかが人間の認識と知性が生み出したものに過ぎず、「人間が持つ限界」を超えることなど出来ないわけで、宇宙や生命のような摂理の原理には未来永劫、到達できなと確信しています。

この「確信」も、根拠を示せないので、ワタシの「原理」でしかありません。

キーワード