PAGE TOP

取り組み

印刷する

古今和歌集《4》

さぼ郎
若菜

春日野の 飛火の野守 出でて見よ
今いくかありて 若菜摘みてむ
よみ人知らず

遠鏡 By 本居宣長
此ノカスガ野ノ飛火野ノ番人ヨ出テヤウスヲ見テクレイ  ソチハコノ野ニ住デ居レバ  タイガイ知レルデアラウガ  マウイクカバカリアツテカラ  若菜ヲツミニハ来ウゾ

今いくか」は、のとおり宣長に言わせると「もういくかばかり」であり、平井卓郎さんによると「もういく日したら」となっています。

飛火の野守」は「飛火野の野守」で、春日野の中にある場所のことで、そこに「のろし台」が作られ、そこの番人のこと。和銅5年のころに飛火野に置かれたそうです。


緑
わが背子が 衣はる雨 降るごとに
野べの緑ぞ 色まさりける
紀貫之
遠鏡 By 本居宣長
ハル雨ノフルタビニ  野ヘンノ草ノ青イ色ガサ  ダン/\増ワイ
妻が夫の衣をはるといふ詞

背子」とは「」のこと。衣を洗張りすることと、春雨をかけているのだそうです。

どういうわけなのかはわかりませんが、貫之が女の側に立ってこの歌を詠んでいます。

我が背子の衣」が、「春雨」と「野辺の緑」に必要なのかが今ひとつわかりませんが、もっと深淵な意味がわかるようになれば、合点がいくのかもしれません。

紀貫之は貞観8年(866年)または貞観14年(872年)頃の生まれで天慶8年(945年)の没とされています。紫式部や清少納言より100年位先に生まれています。

古今和歌集で「仮名序」を書いています。wikiによれば「初めて本格的に和歌を論じた歌論として知られ、歌学のさきがけとして位置づけられている」のだそうです。

和歌のあるべき姿を論じ、その理想像としていにしえに2人の歌聖として「柿本人麻呂」と「山部赤人」を挙げ、続いて近き世に「僧正遍昭」、「在原業平」、「文屋康秀」、「喜撰法師」、「小野小町」、「大伴黒主」の六人を挙げています。この六人は後世に「六歌仙」と呼ばれるようになりました。

仮名序」には、
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり
そもそもは、和歌によって「人の心を種にして」さまざまな言葉に発展してきたことから、心に思ったことでも、見たり聞いたりしたことであっても言葉にして言い表わせると言っています。

発芽

力を入れなくても天地を動かし、目に見えない鬼や神を感動させ、男女の仲を結びつけ、勇ましい武士の心を慰めるのは「」であると言い切っています。

日本語の多彩さは「和歌」によって養われ成長してきたわけです。この多彩さがあればこそ、漢字が入ってきたときも、日本語が漢語化せずに、逆に、漢字を訓読して日本語化することができたのでしょう。


柳
浅緑 糸よりかけて 白露を
玉にもぬける 春の柳か
僧正遍昭
遠鏡 By 本居宣長
アレアノ柳ヲ見レバ  ウスモエギ色ノ糸ヲヨツテカケテ  キレイナ白イ露ヲマア玉ニシテツナイデ  サテモ/\見事ナ春ノ柳カナ

薄い緑色の糸を撚って、その糸で白い露を、あたかも玉を貫き通しているかのように見える春の柳よ

写実的であると同時に、幻想的でもあります。

英語なぞを覚えて金儲けに勤しむより、古来の日本にある「情緒」を身につけることのほうが、一生の幸福度は多寡が増すように思います。

過日、先輩のお宅に伺った折に、書の師範である奥方がおっしゃるには、平安時代の書を手本にして練習をしているのだそうです。

食えなければ仕方のないことではありますが、食えるのであるなら、その10倍、100倍稼いだからといって10倍、100倍心が豊かになれるわけでもなさそうです。

この辺が、また、面白いところです。最近、あっちこっちで地震が置きています。そろそろ、準備しないと、、、。

キーワード