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古今和歌集《2》

さぼ郎
春

袖ひぢて むすびし水の こほれるを
春立つけふの 風や解くらむ
紀貫之

袖ひつる」は「袖が浸(ひた)る」ということのようです。蜻蛉日記には、

袖ひつる 時をだにこそ 嘆きしか 身さへ時雨の ふりもゆくかな

(道綱母の歌)「昔は涙で袖が濡れただけでも嘆いたのに、今は時雨に身までぬれて老いていくことよ」

この前後にやり取りがあって、「春まで待ちましょう」と言われたことに対して、道綱の母が詠んだ和歌だそうですが、「時をだにこそ」と「ふりもゆくかな」のところの意味が今ひとつピンと来ません。

いにしえの人たちの教養に追従できないので、楽しみも味わうことができないのはいかにも残念なことです。 

雪解け

意味
袖を水に浸らせてすくい上げた水も冬には凍ってしまう。立春になって今日の風が溶かしてくれるのだろう

遠鏡 by 本居宣長
袖ヲヌラシテスクウタ水ノコホツテアルノヲ  春ノキタ今日ノ風ガ  フイテトカスデアラウカ



春の日の 光にあたる 我なれど
頭の雪と なるぞわびしき
文屋康秀

清和天皇の后(二条の后)がまだ、東宮の御息所と言われていた頃の正月に康秀を召し出したときに即興で歌を詠むように言われて作った歌だそうです。

意味
温かい春に日に当たっている我が身なれど、頭は白髪になってしまってわびしいかぎりです

遠鏡 By 本居宣長
此節ノ春ノ日ノ光ノヤウナ難有イ御恵ミヲ蒙リマスル私デゴザリマスレドモ  年ヨリマシテカヤウニ頭ガ雪ニナリマスルハサ難儀ニ存ジマスル  コマリマシタ物デゴザリマス

東宮を「春の宮」とも呼ぶのだそうで、「東宮のお恵みにもかかわらず、たいした出世もせずに年だけとってしまった」という哀訴とも取れると解説されています。

文屋康秀」をwikiで調べると、やはり正六位上といいますから殿上人にはなれていませんが、小野小町と親密だったようで、康秀が三河国に赴任するときに小野小町を誘ったら、

わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ

いなむとぞ思ふ」というのが、意味深ですが、「行ってしまおうと思う」との解釈が書かれています。

では、ついていったのかというと、実はいかなかったようで、贈答歌としてじゃれただけのようです。

小野小町は、wikiでは生没年不明とされていますが、どこで生まれたのか、どこで死んだのか、どういう素性だったのか等、色々不明です。絶世の美女だったといいますゆえに、謎多き女性です。

康秀は三河に行ったとされる873年には小町は50歳に近かったようで、お互いが本気の恋では無かったようです。ちなみに康秀の生年は不明だそうですが、没年は885年だそうです。

康秀が冗談であれ誘うくらいですから、身分としては釣り合っていたのでしょう。それゆえ「わびぬれば」としているのでしょう。

小町は、詠んだ歌も多く残っていますし紀貫之も絶賛。在原業平とも贈答歌をやり取りしているので、実在したヒトとは思われます。

身分低く美女に生まれたがために、人生をしくじることって現代においても少なくないことと思います。

失敗

これって、なまじに頭が良いがために人生をしくじる男に匹敵するわけで、まさに、文屋康秀と小野小町にピッタリと当てはまる気がします。

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